川神明神社。上尾市川の神社
川神明神社の概要
川神明神社は、上尾市川にある神社です。川神明神社の創建年代等は不詳ながら、川村は、江戸時代初期には一村として成立していたことから、村の成立時に祀られたのではないかといいます。旧社地(市民体育館地)が低湿地だったことから、別当寺十福寺があった当地に昭和47年遷座したといいます。
社号 | 神明神社 |
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祭神 | 大日孁貴尊 |
相殿 | - |
境内社 | 愛宕社、厳島社 |
祭日 | 例祭10月20日 |
住所 | 上尾市川2-3-1 |
備考 | - |
川神明神社の由緒
川神明神社の創建年代等は不詳ながら、川村は、江戸時代初期には一村として成立していたことから、村の成立時に祀られたのではないかといいます。旧社地(市民体育館地)が低湿地だったことから、別当寺十福寺があった当地に昭和47年遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による川神明神社の由緒
(川村)
神明社
十福寺の持
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十福寺
浄土宗、今泉村十連寺末、神明山地蔵院と云、本尊は阿彌陀を安ず、開山玄秀延寶三年示寂せり、この寺もと十連寺の隠居所なりしが、何の頃か一寺となりしと云。
地蔵堂(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による川神明神社の由緒
郡村誌に「平社々地竪二十七間五分横八間面積二百三十坪村の西南にあり大日孁貴尊を祭る祭日九月廿一日」。昭和47年、社地が低湿地のため現在地に移す。(「上尾の神社・寺院」より)
「埼玉の神社」による川神明神社の由緒
神明神社<上尾市川一〇四(旧川字台辻)>
『風土記稿』によれば、当地はもと今泉・向山・壱町目の各村と共に大谷村と称していたという。寛永二年(一六二五)九月に「河村」一五〇石が旗本柴田筑後守に宛行われていることから、江戸初期には既に一村になっていたことがわかる。
当社の創建については伝わっていないが、隣村の向山の鎮守である神明社ではその縁起の中に、宝永五年(一七〇八)上総国から柴田氏陣屋跡に降った真鍮の御幣を祀った旨が記されており、当社の創建とのかかわりをうかがわせる。
当社は、元来は現在の境内から南西におよそ一、五〇〇メートルの所に祀られていた。その辺りは村の中でも低地で、一度大雨ともなれば、一面水浸しとなってしまい、氏子の悩みの種であった。そこで、昭和四十七年に現在の地に移転し、社殿・鳥居・社務所を新築することとなった。今の境内は、もともとは江戸期における当社の別当十福寺の跡地で、この寺は神明山地蔵院と号し、今泉村の浄土宗十連寺の末寺であった。大正九年に火災で全焼し、その後は本寺の十連寺に合併され、境内も同寺の所有となっていた。氏子たちは、この土地を十連寺から買収して、当社を移転し、悲願を達成したのである。この経緯を後世に伝えるため『神明神社造営記念碑』を建立した。なお、当社の旧境内地は市に売却し、現在は市民体育館の敷地の一部となっている。(「埼玉の神社」より)
川神明神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)