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徳星寺。上尾市畔吉にある天台宗寺院

徳星寺の概要

天台宗寺院の徳星寺は、東高野山遍明院と号します。徳星寺の創建年代等は不詳ながら、弘法大師空海の開創とも伝えられ、真言宗の古刹だったといいます。事情は不詳ながら永禄6年(1563)に当時天台宗だった伊奈郡別所法光寺と宗旨を交換したと伝えられ、天正19年(1591)には徳川家康より寺領3石の御朱印状を拝領、市内では一番早く御朱印状を拝領した寺社だといいます。関東九十一薬師霊場29番、関東百八地蔵霊場3番です。

徳星寺
徳星寺の概要
山号 東高野山
院号 遍明院
寺号 徳星寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 上尾市畔吉751
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



徳星寺の縁起

徳星寺の創建年代等は不詳ながら、弘法大師空海の開創とも伝えられ、真言宗の古刹だったといいます。事情は不詳ながら永禄6年(1563)に当時天台宗だった伊奈郡別所法光寺と宗旨を交換したと伝えられ、天正19年(1591)には徳川家康より寺領3石の御朱印状を拝領、市内では一番早く御朱印状を拝領した寺社だといいます。

新編武蔵風土記稿による徳星寺の縁起

(畔吉村)徳星寺
天台宗、川田谷村泉福寺末、東高野山遍明院と號す、本尊阿彌陀を安ず、天正十九年寺領三石の御朱印を賜はれり、當寺は往古弘法大師の開闢せし地ゆへ東高野と唱へ、眞言古義の古刹なるよし、其後いつの頃か今の宗旨に改めたれど、山號は尚古のままを襲ひ用ひしといへり、されど舊記を失ひたれば、其詳なることは知らず、天正十七年太田氏房より出せし文書一通を蔵す、其文左の如し、
畔吉之内徳正寺門前共に任侘言、緒役免許可爲不入者也、仍如件
天正十七己丑八月廿八日
圓阿彌奉
井原土佐守殿
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虚空蔵堂
此堂の傍に塚あり、其上に榧の大木立り圍み四抱ほど、高さ三丈許、枝のひろごりたる所八間餘あり、弘法大師當寺を開きし頃、手づから植しものなりと云、いと古木とは見えたれど、弘法の手植など云ことはうけかひがたし。
山王社
鐘樓。年號を彫らざれば、鑄造の年代等詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による徳星寺の縁起

寺伝によれば弘法大師の草創と伝えられる。弘法大師創建は信じがたいとしても、東高野山と称するところからも、高野山に関係を有した真言宗寺院であったと思われる。永禄6年(1563)に伊奈町の法光寺と宗旨を交換して天台宗に改宗したと伝えられる。天正17年(1589)太田氏房の印判状、天正19年(1591)徳川家康の朱印状を有しており、市内有数の古刹である。(「上尾の神社・寺院」より)


徳星寺所蔵の文化財

  • 家康朱印状等古文書(上尾市指定有形文化財)
  • 徳星寺の大カヤ及び暖帯林(埼玉県指定天然記念物)

家康朱印状等古文書

指定の古文書は、徳川家康以下歴代の将軍の寺領朱印状12点と岩付城主・太田氏房の印判状1点の計13点である。
太田氏房(北条氏政四男)の印判状は、天正一七(1589)年八月二八日に出されたもので、上尾市域に残る古文書では、現存最古のものである。氏房が、この地域の代官であった井原土佐守に印判状を発給し、徳星寺とその門前の諸役を免除し、不入の地としての特権を認めたものである。氏房が領域の寺社に対して、先例により厚く保護する政策をとっていることを示す史料である。
一方、寺領朱印状は徳川家将軍初代家康の寄進状と、2代秀忠以後の歴代将軍継目安堵の朱印状である。家康の寄進状は、天正一九(1591)年一一月に出されたもので「上足立郡阿世吉郷」のうち3石の寺領寄進と寺中不入の旨が記されている。継目安堵の朱印状は、計11点である。歴代将軍のうち第6代家宣、第7代家継、第15代慶喜は在位期間が短かったなどの理由から発給されていないため、徳星寺には全期間のものが揃っていることになる。天正一九年一一月の家康朱印状は市内唯一のものであるとともに、歴代将軍の朱印状が残っているのも珍しく大変貴重である。(埼玉県・上尾市教育委員会掲示より)

徳星寺の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)