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法光寺。伊奈町小室にある真言宗智山派寺院

法光寺の概要

真言宗智山派寺院の法光寺は、金亀山阿弥陀院と号します。法光寺は、延暦10年(791)に創建したと伝えられ。当寺はかつて天台宗寺院だったものの、永禄6年(1563)に畔吉徳星寺と宗旨を交換して真言宗寺院となり、良鑁(慶長9年1604年寂)が真言宗寺院として開山したといいます。江戸期には寺領10石の御朱印を慶安元年(1648)に受領していました。

法光寺
法光寺の概要
山号 金亀山
院号 阿弥陀院
寺号 法光寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 伊奈町小室4228-1
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



法光寺の縁起

法光寺は、延暦10年(791)に創建したと伝えられ。当寺はかつて天台宗寺院だったものの、永禄6年(1563)に畔吉徳星寺と宗旨を交換して真言宗寺院となり、良鑁(慶長9年1604年寂)が真言宗寺院として開山したといいます。江戸期には寺領10石の御朱印を慶安元年(1648)に受領していました。

新編武蔵風土記稿による法光寺の縁起

(別所村)
法光寺
新義眞言宗、醍醐三寶院末、金龜山阿彌陀と號す、開山良鑁慶長九年九月朔日寂す、本尊彌陀は坐像にて一尺二寸、脇士一尺許ともに運慶の作、厨子の内に鎌倉住人運慶廿八歳作と銘あり、御朱印十石は慶安元年に賜ふ所なり、當寺の𦾔記に元は天台宗河田谷泉福寺の末寺にて、畔吉村徳星寺は眞言宗なりしが、永禄六年八月二寺入替り、宗門を改め彼徳星寺は天台宗となり、當寺は眞言宗となれりといへど、理り疑ふべし、されど徳星寺も元は眞言宗なりしに、後天台宗と改めしと云ことは傳へり、この外にも又𦾔記あり、武州足立郡小室郷、奉造立阿彌陀三尊、金龜山法光寺、本堂再興天文廿四年乙卯十一月十五日、願主内村兵庫助・同強右衛門と記せるものあり、兎角𦾔き寺なることは知らる、兵庫助は今村内名主吉右衛門が祖先なりと、
什物。大師名號一幅。御室御所守覺法親王なり、
鐘樓。寶暦年鑄造の鐘をかく、
護摩堂。不動を安ず、
八幡社(新編武蔵風土記稿より)

「伊奈町史」による法光寺の縁起

法光寺は、金亀山阿弥陀院法光寺と号する真言宗智山派の寺で、本尊は阿弥陀如来である。寺伝によると、創立は延暦一〇年(七九一)で開山は、宥覚上人とされる『風土記稿』によると、醍醐三宝院の末寺で、開山は慶長九年(一六〇四)九月朔日に寂した見鑁としている。
寺の由来については、『風土記稿』は「当寺の旧記」によると、法光寺は、元々天台宗の寺で、泉福寺(桶川市川田谷)の末寺であったが、永禄六年(一五六三)八月に、当時、真言宗の寺であった徳星寺(上尾市畔吉)と宗旨の交換を行い、以後真言宗になったという。この伝承は、徳星寺でも同じように伝えられている。なお、本末関係については、明治二七年から智積院の末寺となっている。
現在、法光寺では、四月一二日に大般若会、一一月に報恩講を行う。また施餓鬼会は八月一六日に行っている。
大般若は、大般若経に風を入れるという意味で大般若経の転読の法要を行う。このときには、檀家の者は短い塔婆をいただき、墓地に立てる。施餓鬼には、予め頼んでおいて六尺塔婆をいただく。報恩講では、以前は各字から世話人が出てけんちん汁を作って参詣者に配ったものである。
このほか、春と秋にはオトキと呼ばれる行事があった。本堂で、御飯と春はねぎぬた、秋はいもがらをいただき、法話を聞いたものである。昭和五〇年代まで行われている。(「伊奈町史」より)


いいお墓

法光寺の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「伊奈町史」(伊奈町教育委員会)