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浜崎氷川神社。朝霞市浜崎の神社、浜崎村鎮守、旧村社

浜崎氷川神社の概要

浜崎氷川神社は、朝霞市浜崎にある氷川神社です。浜崎氷川神社の創建年代や由緒については不詳ですが、入間郡毛呂山町滝ノ入(毛呂山町)桂林寺観音堂の鰐口に、福徳2年(1491)年銘で当社と思われる碑が残されていることから、江戸時代の前より創建していたものと考えられます。明治時代には村社に列格していました。

浜崎氷川神社
浜崎氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞雄命
相殿 -
境内社 塩竃神社、御嶽社、護国神社、熊野神社、稲荷神社、琴平神社
祭日 -
住所 朝霞市浜崎3-7-1
備考 旧村社



浜崎氷川神社の由緒

浜崎氷川神社の創建年代や由緒については不詳ですが、入間郡毛呂山町滝ノ入(毛呂山町)桂木寺観音堂の鰐口に、福徳2年(1491)年銘で当社と思われる碑が残されていることから、江戸時代の前より創建していたものと考えられます。明治時代には村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による浜崎氷川神社の由緒

氷川社
(浜崎)村の西の方にあり。社は2間半に3間。前に鳥居を建つ。鎮座の年暦は傳へざれど、入間郡瀧入村桂林寺の観音堂に掛し鰐口に、奉掛氷川之大明神、御寶前之鰐口、武州新座郡之廣澤郷浜崎之宮、福徳2年辛亥9月吉日、願主大夫三郎太郎敬白と銘せしは、恐らくは元当社の物なるべければ、古社なる事證すべし。されどご神徳は逸年号にして、何れの朝の号なるや詳ならず。村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による浜崎氷川神社の由緒

かつては広い沼地であったといわれる黒目川低地を南東に見渡す台地の上に当社は鎮座している。こうした立地は、見沼を望む高台に鎮まる大宮市の武蔵一宮氷川神社浦和市本太の氷川神社など、古社と伝わる他の氷川神社と同様であり、当社の創建の古さを感じさせる。
当社がこの地に勧請された年代については定かではないが、毛呂山町滝ノ入の桂木寺にある桂木観音堂に懸かる鰐口の銘文から、室町中期には既に存在していたことがうかがわれる。この銘文は「奉懸氷河之大明神御宝前之鰐口武州新座之郡広沢之郷浜崎宮 福徳二辛亥九月吉日 願主 太夫三郎太郎敬白」というもので、文中の氷河之大明神は当社のこと、私年号である福徳二年は干支から延徳三年(一四九一)のことと推測される。当社に奉納された鰐口が毛呂山町にある理由は不明である。このことは、化政期(一八〇四-三〇)に編纂された「風土記稿」いも記されている。
明治四十二年三月、大字宮戸の熊野神社(現宮戸神社)と大字田島の神明神社を合祀したのを機に、当社は三柱神社と改称した。しかしこの合祀は形式的なもので、両社共に社殿は揺拝所としてそのまま残された。そこで、太平洋戦争の後、合祀された両社の旧氏子たちの間から復祀を望む声が高まってきた。そのため、昭和三十二年十二月に両社の御霊式を旧地に戻し、同時に当社も氷川神社の旧称に復した。(「埼玉の神社」より)


浜崎氷川神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)