田島神明神社。田島村鎮守、旧村社
田島神明神社の概要
田島神明神社は、朝霞市田島にある神明神社です。田島神明神社の創建年代や由緒については不詳ですが、当社の別当寺であった富善寺(元和3年年1617開基)と同時期に創建したと推定されています。明治時代には村社に列格していました。
社号 | 神明神社 |
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祭神 | 天照皇大神・面足尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、秋葉社・御嶽社・八坂社・榛名社 |
祭日 | - |
住所 | 朝霞市田島2-224 |
備考 | - |
田島神明神社の由緒
田島神明神社の創建年代や由緒については不詳ですが、当社の別当寺であった富善寺(元和3年1617年開基)と同時期に創建したと推定されています。明治時代には村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による田島神明神社の由緒
神明社
村の東の方にあり。2間に3間程の社なり。富善寺の持にて、毎年9月15日祭礼、当所の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による田島神明神社の由緒
当地は東を新河岸川、西と南を黒目川と三方を川に囲まれた半島状の低湿地でしばしば水害を被った。地名の由来も川沿いの水田という意から起こったという。
口碑によれば、神明様は台地状の字久保(現在の朝志が丘一丁目の村山病院付近)に鎮座していたが、いつの頃か現在の地に遷座された。この時に字久保の住民もこちらに移って来たという。
「風土記稿」田島村の項には「神明社 村の東の方にあり、二間に三間程の社なり、富善寺の持にて、毎年九月十五日祭礼、当所の鎮守なり」とある。別当富善寺は、地頭富永善左衛門が元和三年(一六一七)に開基したという。元和元年には善左衛門の子喜左衛門が当村と隣の浜崎村を合わせて二〇〇石を知行安堵されて以来、幕末まで富永氏の知行地であった。旧鎮座地の朝志ヶ丘も浜崎村に含まれたことから、当社の創建や遷座にも富永氏がかかわっていたものであろう。
明治初年の神仏分離令により当社は村社に列したものの、明治四十年に浜崎の氷川神社に合祀された。そこで当地の人々は窮余の策として、志木市宗岡の天津神社の分霊をこの地に勧請し、代わりに鎮守として祀るようになったという。しかし、本来の鎮守への思いは絶ち難く、合祀先からの返還を強く切望していたが、昭和三十一年に至り、ようやく旧に復することとなり、名実共に再興を果たした。(「埼玉の神社」より)
田島神明神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)