田島山冨善寺。地頭富永善左衛門守定が開基
冨善寺の概要
真言宗智山派寺院の冨善寺は、田島山永源院と号します。冨善寺は、田島村の地頭富永善左衛門守定(冨善寺永誉貞源)が開基となり、元和3年(1617)に創建したといいます。江戸時代には、田島にある田島神明神社、美女神社の別当を冨善寺が務めていたといいます。
山号 | 田島山 |
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院号 | 永源院 |
寺号 | 冨善寺 |
住所 | 朝霞市田島1-6-11 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
冨善寺の縁起
冨善寺は、田島村の地頭富永善左衛門守定(冨善寺永誉貞源)が開基となり、元和3年(1617)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による冨善寺の縁起
冨善寺
境内4反許。地頭免除地、村の東方にあり。新義真言宗、郡内館村寶幢寺の末なり。田島山と云。昔この村の地頭富永善左衛門守定開基せり。守定の法号を冨善寺永誉貞源と称す。寺を富善と云ひ、院を永源と云は、この法号より起りしなり。開山の住僧及び開基の年代詳ならざれども、守定の子喜左衛門正吉、元和年中この地を賜ひしと云へば、其年代も推して知るべし。本道5間半に7間辰巳に向ふ。本尊地蔵菩薩「定朝の作」を安せり。
古碑2基。卵塔場にあり。応安2年、応安6癸丑年2月16日。(新編武蔵風土記稿より)
「朝霞市史」による冨善寺の縁起
田島地区・冨善寺
田嶋山永源院冨善寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は地蔵菩薩である。本寺は近世より志木の寶幢寺である。『風土記稿』によれば、開基は地頭の富永善左衛門守定で、守定の法号を冨善寺永誉貞源と称したことから、寺名を冨善寺といい、院号を永源とするになったとある。また、その子の喜左衛門正吉が元和年中(一六一五~二四)に当地を賜ったとあることから、創建もその頃であろうと推測している。ただし、創建年代については、安土桃山時代だとする説やそれ以前だとする説もあって判然としない。
これまで、当寺はいくどかの火災にあったようで、延宝年間(一六七三~八〇)に全焼し、地頭冨永氏により再建されたとされている。また、昭和四六年にも火災にみまわれ、本堂庫裡を全焼したことがある。このときは、幸いにも本尊等の焼失は免れた。そして、昭和四九年には檀家の協力や寺有地処分によって本堂庫裡を再建したという経緯がある。(「朝霞市史」より)
冨善寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「朝霞市史」