一乗院閻魔堂。朝霞市膝折にある真言宗智山派寺院

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一乗院閻魔堂。一乗院の境外仏堂

一乗院閻魔堂の概要

真言宗智山派寺院の一乗院閻魔堂は、朝霞市膝折にある閻魔堂です。一乗院閻魔堂は、当地にあった持明院の大日堂として建立、持明院が廃寺となった後、並流山一乗院の境外仏堂の閻魔堂となったといいます。

一乗院閻魔堂
一乗院閻魔堂の概要
山号 並流山
院号 一乗院
寺号 平等寺
本尊 -
住所 朝霞市膝折4-7
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



一乗院閻魔堂の縁起

一乗院閻魔堂は、当地にあった持明院の大日堂として建立、持明院が廃寺となった後、並流山一乗院の境外仏堂の閻魔堂となったといいます。

新編武蔵風土記稿による一乗院閻魔堂の縁起

(膝折宿)持明院
境内年貢地、十六間四方、一乗院の西にあり、真言宗新義にて、是も三宝寺末山なり、瑠璃光山と號す、本堂五間半に三間半、本尊は薬師の坐像にて、長二尺あり、是も開山の年歴等すべて詳ならず。
大日堂
境内にあり、五間四方の堂なり。(新編武蔵風土記稿より)

「朝霞市史」による一乗院閻魔堂の縁起

膝折地区・閻魔堂
現在、この堂庵は閻魔堂あるいは下寺と通称されており、本来的には膝折下の旧戸の墓所に関わる三昧堂的な堂庵であったといえる。由緒等は詳らかでないが、元禄七(一六九四)年創建との伝えもある。正式に一乗院管轄となったのは昭和十七年のことである。
ところで、もともとこれは閻魔堂ではなく阿弥陀堂であったとしてよいかと思われる。というのも、『風土記稿』には阿弥陀堂の記事として「持明院ノ西膝折ノ下ト云所ニアリ・・・本尊ノ外観音閻魔等ノ木像ヲ安ス側ニ寮アリ堂守ノ僧コレニ居ル」とあり、早くに持明院が零落かつ本尊もどれだかわからなくなった結果、安置していた閻魔様を代名詞的に捉えるようになり、ついには閻魔堂と呼ぶにいたったかと推察されるからである。現に『明細張』では閻魔堂の記載はまったくなく、阿弥陀堂のことならば字北浦を所在地とし、宗旨を真言宗、本尊を阿弥陀如来、信徒を六一人、村持ちとするとある。つまり、閻魔堂というようになったのは近代に入ってからで、そうそう古いことではないと窺えるが、惜しむらくは、今となってはそのあたりの経緯が知りえないことである。現状として伝えることは、かつては閻魔堂と薬師堂の二棟があったが、古くなったので取り壊し、八角堂一棟に造り変えた。そして、なかには閻魔様と薬師様、馬頭観音にショウヅカ婆さん、それに大日様を祀ったということである。このうち、馬頭観音は以前からあったが、大日様はどこからか、あとから持ってきたものだという。また、旧薬師堂には「め」と書いた額が多数奉納してあり、それが持明院という寺と関係していたようだともいっている。このことは『風土記稿』に、持明院の本尊を「薬師ノ座像」と記してあることや、持明院の境内に大日堂があると述べていることと供に接点をみたようで、さらなる今後の考究が必要とあれるところであろう。(「朝霞市史」より)


一乗院閻魔堂の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「朝霞市史」