立善講寺。明治21年志木市住民の誓願により池上から移転
立善講寺の概要
日蓮宗寺院の立善講寺は、朗慶山と号します。立善講寺は、本門寺境内に日鏡上人が日朗上人を開祖として創建した照栄院を起源とし、元禄2年(1689)に鎌倉比企谷宝篋堂談林が照栄院内に移された際に、照栄院が朗慶山立善講寺と号したといいます。明治時代に照栄院と立善講寺が分離、明治21年志木市住民の誓願により、立善講寺が当地へ移転したといいます。
山号 | 朗慶山 |
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院号 | - |
寺号 | 立善講寺 |
住所 | 志木市本町2-6-23 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
立善講寺の縁起
立善講寺は、本門寺境内に日鏡上人が日朗上人を開祖として創建した照栄院を起源とし、元禄2年(1689)に鎌倉比企谷宝篋堂談林が照栄院内に移された際に、照栄院が朗慶山立善講寺と号したといいます。明治時代に照栄院と立善講寺が分離、明治21年志木市住民の誓願により、立善講寺が当地へ移転したといいます。
志木市教育委員会掲示による立善講寺の縁起
立善講寺
前身は本門寺(大田区池上)の寺域に日鏡上人が日朗上人を開祖として創建した照栄院で、その約三百年後の元禄二年(一六八九)本山第二十二世日玄上人の時、鎌倉比企谷宝篋堂談林をこの地へ移し南谷談林と呼び、日玄上人を開祖として朗慶山立善講寺と号しました。
この様に照栄院と立善講寺は本来一体でしたが、時代が下がるに従って分離した様で、明治時代には別個の寺として存在していました。
明治初年、町内の日蓮宗信者による講(一心講)が組織され、本門寺に日蓮宗寺院の誘致を願い出、明治二十一年に立善講寺が当地に移転してきました。
この寺院では、毎年夏の土用の丑の日になると頭にのせた焙烙(素焼きの皿)の上でモグサを焼く焙烙灸が行われており、頭痛病みに最も効果があるといわれ当日は多くの人でにぎわいます。(志木市教育委員会掲示より)
立善講寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」