松山日枝神社。東松山市日吉町の神社
松山日枝神社の概要
松山日枝神社は、東松山市日吉町にある神社です。松山日枝神社は、当地にあった眞福寺の境内鎮守として山王大権現と称して創建、文化15年(1818)銘の木札が残されているといいます。明治維新後の神仏分離により真福寺の管理を離れ、日枝神社と改めたといいます。
社号 | 日枝神社 |
---|---|
祭神 | 大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 春例大祭4月初旬、秋例大祭9月第一土曜日 |
住所 | 東松山市日吉町10-28 |
備考 | - |
松山日枝神社の由緒
松山日枝神社は、当地にあった眞福寺の境内鎮守として山王大権現と称して創建、文化15年(1818)銘の木札が残されているといいます。明治維新後の神仏分離により真福寺の管理を離れ、日枝神社と改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による松山日枝神社の由緒
(松山町)
眞福寺
祈願山法垂院と稱す、これも浄光寺の門徒なり、開山玄海寂年を傳へず、本尊觀音を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による松山日枝神社の由緒
江戸時代文化一五年二月(一八一八年)近江国日吉山に鎮座する地主神・安産子育て・家内安全・学業成就の守護神日吉山山王大権現を当地に勧請、社殿を建立する。(境内掲示より)
「埼玉の神社」による松山日枝神社の由緒
松山日枝神社<東松山市日吉町一〇-二八(松山町字日吉町)>
旧松山宿の北部に位置し、「職人の町」として知られる日吉町に当社は鎮座している。町場の神社らしく、境内の両脇には家が建て込んでおり、神木に準じた扱いを受けている銀杏を除いてはこれといった樹木もないが、向かい(南側)が上沼公園という大きな池を中心とした公園になっているため、環境は比較的よい。
日吉町は、江戸時代の中ごろに、染色に関係した職人が住み着くようになったことから発展した。当社は、神仏分離まで境内の西隣にあった天台宗の真福寺の守り神として勧請され、それが日吉町に住み着くようになった人々によって町内の守護神として護持されるようになったものであろうといわれている。ただし、この真福寺の開山については伝えられていない。また、内陣には、金幣のほかに、「文化十五戌寅年(一八一八)二月吉祥日 山王大権現 松山住人山王産野村主計久信」と記された木札が納められている。あるいは、近江の日吉神社に参詣し、その記念のためにでも上げられた納め札であろうか。
この木札にもあるように、当社は元来は「山王大権現」と称していたが、明治に入ると神仏分離によって真福寺の管理を離れると同時に、社号を現行の日枝神社に改めた。しかし、改称の後も住民の間では「山王様」の通称で呼ばれることの方が多く、現在でもなお、「日吉町の山王様」として市民に知られている。(「埼玉の神社」より)
松山日枝神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)