本町八雲神社。松山神社飛び地境内
本町八雲神社の概要
本町八雲神社は、東松山市本町にある神社です。本町八雲神社の創建年代等は不詳ながら、宿場町として発展した松山町に天王社として祀られ、明治維新後は八雲神社と称して無格社に列格、大正3年松山神社に合併され、松山神社境内飛び地となっています。
社号 | 八雲神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 7月24・25日 |
住所 | 東松山市本町1-5-8 |
備考 | - |
本町八雲神社の由緒
本町八雲神社の創建年代等は不詳ながら、宿場町として発展した松山町に天王社として祀られ、明治維新後は八雲神社と称して無格社に列格、大正3年松山神社に合併され、松山神社境内飛び地となっています。
新編武蔵風土記稿による本町八雲神社の由緒
(松山町)
天王社
眞福寺持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による本町八雲神社の由緒
松山神社<東松山市日吉町五-一九(松山町字日吉町)>項
八雲神社は、無格社であったのを大正三年一月十九日当社の境内社に編入したもので、市の文化財にも指定されているその社殿は、天保六年(一八三五)の再建時に河原明戸(熊谷市)の棟梁飯田仙之助とその弟子が精魂込めて造り上げたものであるという。(「埼玉の神社」より)
本町八雲神社所蔵の文化財
- 八雲神社社殿(東松山市市指定文化財)
八雲神社社殿
社殿は、間口二・六m、奥行三・六m単層切妻で正面軒は唐破風となり、その下二千鳥破風がおいてあります。社殿は切妻の面もすべて彫刻で飾られています。正面は花鳥及竜と唐獅子・左側は神功皇后新羅征伐凱旋の場、右側は須佐之男命大蛇退治の場、背面は天照大神の天岩戸の場が刻まれています。
他の神社の彫刻と異なり、伝統的なものに取材し、豊かな民俗的色彩を有する特色をもっています。
昭和三十三年一月、境内より左記の銘文が発見されました。
惟時安政六年四月奉再勧進者也
法王祈願現住権律師亮覚敬白
祇園牛頭天王
この彫刻は安政六年四月の再勧進請のときに製作されたもので、彫工飯田仙之助が三人の弟子に技を競わせたものといわれています。(東松山市教育委員会掲示より)
本町八雲神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)