望月天神社愛宕社。東松山市岩殿の神社

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望月天神社愛宕社。望月のフセギ行事

望月天神社愛宕社の概要

望月天神社愛宕社は、東松山市岩殿にある神社です。望月天神社愛宕社の創建年代等は不詳ながら、岩殿観音堂の領内に愛宕社・天神社が祀られていたことが新編武蔵風土記稿に見えます。現在は望月地区で祀られ、岩殿熊野神社とは異なる日に祭典を執行しているといいます。望月のフセギ行事は、東松山市無形民俗文化財に指定されています。

望月天神社愛宕社
望月天神社愛宕社の概要
社号 天神社・愛宕社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
祭日 フセギ7月2日に近い日曜日
住所 東松山市岩殿360望月会館
備考 -



望月天神社愛宕社の由緒

望月天神社愛宕社の創建年代等は不詳ながら、岩殿観音堂の領内に愛宕社・天神社が祀られていたことが新編武蔵風土記稿に見えます。現在は望月地区で祀られ、岩殿熊野神社とは異なる日に祭典を執行しているといいます。

新編武蔵風土記稿による望月天神社愛宕社の由緒

(岩殿村観音堂項)
愛宕社。此社邊を愛宕山と唱ふ、
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天神社 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による望月天神社愛宕社の由緒

熊野神社<東松山市岩殿一二三九(岩殿字藤井)>項
氏子区域は、この岩殿全域であるが、その集落は岩殿区と望月区に分かれる。氏子数は両区合わせても一五〇戸ほどである。
このうち岩殿区は、岩殿観音の参道沿いに発展した門前町的な農業地域であり、望月区は丘陵の東側の平野部に接する所に発展した農業地域である。また、地勢上集落が接していないため、当社の祭りとは別に区ごとに行っている祭りもある。夏祭りと秋祭りがそれで、夏祭りは岩殿区が七月十七日、望月区は七月三十一日、秋祭りは岩殿区が九月一日、望月区が十月十七日である(「埼玉の神社」より)


望月天神社愛宕社所蔵の文化財

  • 望月のフセギ行事(市指定無形民俗文化財)

望月のフセギ行事

悪霊や疫病がムラに入るのを防ぐために、ムラ境にシメを張る道切りの行事をフセギと呼んでいます。
岩殿の望月地区では、例年七月二日(近年はこの日に近い日曜日)の早朝、各家から一人ずつワラや竹を持って望月会館に集まります。そして、区長のあいさつの後、ワラで七五三にした注連縄や男女の象徴をかたどったものを作ります。男根・女陰ともワラを折り曲げたり編んだりして作りますがが、男根には岩殿観音から受けて来た疫病邪気除けの御札を差し込みます。注連縄は、縄のない目に七本・五本・三本のワラを垂らせて左ないになうようにします。およそ二時間がたつと四組ずつでき上がり、準備が終了します。
それぞれのフセギの飾り物は酒で清め、「身体健康・疫病邪気退散」という口調の発声で一同が乾杯します。その後、手分けで東西南北の四か所のムラ境に向かいます。
ムラ境に着くと、初めに竹を立て、ワラ製の男根と女陰を交わらせ(これは「すでに入っているので、疫病邪気等はもうムラには入らない」という意味があると伝えられています)、注連縄とともに竹にしばりつけます。
かつては道の両側に竹を立て、それに縄を張って道切りにしていましたが、昭和三〇年代末ごろから交通量が増加したため、今のような飾り方に変わったといわれています。
東松山市をはじめとする比企地方ではこうしたフセギ行事が行われるところが多く見られます。こうした行事は先人から伝えられ、長い阿間続けられた信仰心を語る上でも貴重な文化財と考えることができます。(東松山市教育委員会掲示より)

望月天神社愛宕社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)