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元宿天神社。東松山市元宿の神社

元宿天神社の概要

元宿天神社は、東松山市元宿にある神社です。元宿天神社は、当地で盛んに信仰されていた北野天満宮を勧請して永享年間(1429-1441)に社殿を建立、天正年間には戦乱により焼失したものの元和8年(1622)に再建、明治維新後には龍圓寺境内に祀られていた愛宕社を当社境内に移したといいます。

元宿天神社
元宿天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道眞公
相殿 -
境内社 愛宕神社
祭日 -
住所 東松山市元宿1-32-4
備考 -



元宿天神社の由緒

元宿天神社は、当地で盛んに信仰されていた北野天満宮を勧請して永享年間(1429-1441)に社殿を建立、天正年間には戦乱により焼失したものの元和8年(1622)に再建、明治維新後には龍圓寺境内に祀られていた愛宕社を当社境内に移したといいます。

新編武蔵風土記稿による元宿天神社の由緒

(毛塚村)
天神社
龍圓寺持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による元宿天神社の由緒

天神社<東松山市元宿一-三二-四(毛塚字西久保)>
東武東上線高坂駅から線路に沿って少し南に向かった所に当社の境内がある。付近は、最近区画整理がされ、住宅化が進んでいるが、境内は周囲よりも幾分高くなっており、しかも杉や檜がよく茂っているため、その位置は遠方からでもよくわかる。
言い伝えによれば、この地では、どのような理由からか京都の北野天満宮の御神徳を慕っており、村内に遥拝所が設けられ、礼拝が行われていたという。時が経つにつれて、北野天満宮に対する信仰はいよいよ高まり、ついに永享年間(一四二九-四一)には社殿を建立し、北野天満宮の分霊を奉斎するに至った。これが当社の始まりで、のち天正年間(一五七三-九二)、戦乱のため村もろとも焼失の憂き目に遭ったが、元和八年(一六二二)には再建が果たされ、一層の信仰を集めるようになったという。
また、明治二年九月には、龍円寺の境内に祀られていた愛宕神社が当社に移された。これは、明治維新の際積極的に推進された神仏分離によって、神仏混淆が許されなくなったことに伴う措置で、愛宕神社は以後、当社の末社として祀られている。なお、『風土記稿』では、「田木村慈眼寺持」の神明社が毛塚村の鎮守とされ、当社は単に「龍円寺持」の社となっている。(「埼玉の神社」より)


元宿天神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)