野本日枝大神社。寛文2年創建
野本日枝大神社の概要
野本日枝大神社は、東松山市下野本にある神社です。野本日枝大神社は、聖徳寺(あるいは浄光寺)の寺領だった当地に、中妻の鎮守として寛文2年(1662)に創建、明治10年に諏訪神社・神明神社・天神社を合祀しています。
社号 | 日枝大神社 |
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祭神 | 大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | 天神、三峰 |
祭日 | 例祭8月26日(おすわさま) |
住所 | 東松山市下野本906 |
備考 | - |
野本日枝大神社の由緒
野本日枝大神社は、聖徳寺(あるいは浄光寺)の寺領だった当地に、中妻の鎮守として寛文2年(1662)に創建、明治10年に諏訪神社・神明神社・天神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による野本日枝大神社の由緒
(野本村)
該当記載無し(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による野本日枝大神社の由緒
日枝大神社<東松山市下野本九〇六(下野本字下川入)>
『明細帳』によれば、当社は下野本の小字の一つである中妻の鎮守として寛文二年(一六六二)に創建され、初め「日吉山王権現」と称した。更に、貞亨三年(一六八六)に社殿の再建が行われたという。
天明元年(一七八一)の棟札には「別当下野本村聖徳寺」や「大願山三十三世法印舜源」などの名が見える。聖徳寺は、『風土記稿』に「元は寺と云べき程にあらざりしを、元禄十一年(一六九八)一寺となり」と記される天台宗の寺院で、『郡村誌』には既に見当たらず、明治初年に廃寺となった模様である。その跡地は、当社から南西に六〇〇メートルほど離れた所にあり、墓地が残されている。また、「大願山」とは、聖徳寺の本寺であった下青鳥村の浄光寺のことで、寺領二三石・末寺三九か寺を有する大寺であった。
天台宗総本山延暦寺の護法神・守護神として崇められていた日吉山王権現を、同じ宗派の聖徳寺(あるいはその本寺の浄光寺)の僧がこの地に勧請したことは、十分に考えられよう。当社は聖徳寺(あるいは浄光寺)の寺領に文殊堂(当社南側にある堂)と共に祀られていたものであろうか。
明治十年、諏訪神社・神明神社・天神社の三社が当社に合祀された。当社が合祀の中心に選ばれた理由は、水害に遭いにくい高台に鎮座していたことによるという。(「埼玉の神社」より)
野本日枝大神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)