利仁神社。藤原利仁将軍の霊を祀る社
利仁神社の概要
利仁神社は、東松山市下野本にある神社です。利仁神社は、延喜15年(915)に鎮守府将軍となった藤原利仁将軍の霊を祀るため、延長元年(923)に創建したと伝えられます。当地の野本氏や大谷の比企氏は利仁将軍の末裔とされ、当時から神聖視されていた前方後円墳に鎮座、江戸期まで別当寺を勤めていた無量寿寺の境内鎮守として祀られ、利仁将軍社と呼ばれていました。
社号 | 利仁神社 |
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祭神 | 藤原利仁鎮守府将軍 |
合祀 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 東松山市下野本612 |
備考 | - |
利仁神社の由緒
利仁神社は、延喜15年(915)に鎮守府将軍となった藤原利仁将軍の霊を祀るため、延長元年(923)に創建したと伝えられます。当地の野本氏や大谷の比企氏は利仁将軍の末裔とされ、当時から神聖視されていた前方後円墳に鎮座、江戸期まで別当寺を勤めていた無量寿寺の境内鎮守として祀られ、利仁将軍社と呼ばれていました。
新編武蔵風土記稿による利仁神社の由緒
(下野本村無量壽寺項)
利仁将軍社。境内にあり、繞り一町四方、高さ四五尺にて、雑木生ひ茂れる塚あり、将軍塚又将軍山ともいへり、塚上に利仁の靈を祀れり、當寺の鎮守なり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による利仁神社の由緒
利仁神社<東松山市下野本六一二(下野本字下野本)>
比企郡下には規模の大きな古墳や遺跡が多い。約一〇〇メートルの全長を持ち、行田市の稲荷山古墳と並ぶ北武蔵屈指の前方後円墳である将軍塚古墳(国指定史跡)は、その代表的なもので、当社はその墳丘上に鎮座している。将軍塚古墳の被葬者については、現在のところ定かではないが、七世紀に築造されたものであることが推定されており、当時相当の力を持った豪族がこの地に居住していたことがわかる。またその墳丘からは建久七年(一一九六)銘の鋳銅の経筒(国立東京博物館蔵・国宝)などの遺物も出土しており、既に鎌倉時代にはこの古墳が地元に居住する武士や豪族から神聖視されていたようである。
延喜十五年(九一五)に鎮守府将軍となった利仁将軍こと藤原利仁は、下野に赴いて数千の群盗を平定したことや『今昔物語集』の「芋粥」の話で広く知られている。比企郡内には、この利仁将軍にちなんだ伝説が多く、比企能員に代表される大谷(現東松山市大谷)の比企氏や当地の野本氏はこの利仁将軍の子孫であるという。当社は、この藤原利仁の霊を祀る神社であり、内陣には藤原利仁像が安置されているほか、社宝に利仁愛用の弁当箱がある。その創建は、延長元年(九二三)四月二十四日と伝えられ、元来は、将軍塚古墳の北側に隣接する無量寿寺の鎮守で、利仁将軍社と呼ばれていたが、神仏分離によって同寺から独立し、利仁神社と号するようになった。(「埼玉の神社」より)
利仁神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)