東平熊野神社。東松山市東平の神社

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東平熊野神社。藤原秀郷勧請

東平熊野神社の概要

東平熊野神社は、東松山市東平にある神社です。東平熊野神社は、平将門を追討するために下向した藤原秀郷が、夢の告げにより当社を勧請したと伝えられます。その後平忠常の乱で敗れて遁れてきたその子息平忠将が当地に定住、平村と呼ばれるようになった当地で祀られ、江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治維新後、比企郡内に平村が2ヶ村あったことから都幾川の平村を西平、当地を東平と呼称、明治4年に村社に列格、明治41年地内の7社を合祀しています。

東平熊野神社
東平熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 -
相殿 -
境内社 三峰社、諏訪社
祭日 例祭7月14・15日、新嘗祭10月15日
住所 東松山市東平1006
備考 -



東平熊野神社の由緒

東平熊野神社は、平将門を追討するために下向した藤原秀郷が、夢の告げにより当社を勧請したと伝えられます。その後平忠常の乱で敗れて遁れてきたその子息平忠将が当地に定住、平村と呼ばれるようになった当地で祀られ、江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治維新後、比企郡内に平村が2ヶ村あったことから都幾川の平村を西平、当地を東平と呼称、明治4年に村社に列格、明治41年地内の7社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による東平熊野神社の由緒

(平村)
熊野社
村内の鎮守なり
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稲荷社
諏訪社
神明社
以上四社共に、覺性寺の持なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による東平熊野神社の由緒

熊野神社<東松山市東平一〇〇六(東平字小橋)>
旧別当の真言宗覚性寺蔵の古文書には、次のような伝説がある。
天慶三年(九四〇)に東国で反乱を起こした平将門を追討するために平重盛と共に都を発った藤原秀郷は、上州(現群馬県)碓氷峠まで進んだころ、不思議な夢を見た。それは、南の方にたなびく紫雲を尋ねて行くと、そこは紀州(現和歌山県)の熊野三社で、そこで一人の老翁から「自分は東海の平和を願うものである。紀州熊野三社を祀り、その神徳を頂いて戦えば、汝は朝敵を必ず滅ぼすことができ、汝の子孫は世々栄えるであろう」と告げられるというものであった。翌朝、秀郷ははるか南方に紫雲のたなびくのを見た。奇しくもそこを尋ねて行くと、一株の松の根元から雲が湧き上がっており、これこそ神のお告げと、秀郷は持っていた鏑矢をその松に立てて仮に熊野三社を祀った。これが当社の創祀で、その後の秀郷の武功は言うまでもない。
乱平定の後、秀郷は神恩に報いるために当社の伽藍を建立し、以後郷人の崇敬を集めるところとなった。戦国時代、松山城落城に伴い、当社も兵火に罹ったものの立派に再建が果たされ、江戸時代には東平村の鎮守として『風土記稿』にもその名が挙げられている。更に明治四年には村社になり、同四十一年には字沢口の村社熊野神社(当社は上の宮、同社は下の宮と呼ばれていた)ほか七社が合祀された。(「埼玉の神社」より)


東平熊野神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)