青鳥城跡。東松山市石橋にある旧跡・名所

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青鳥城跡。東松山市石橋にある旧跡・名所

青鳥城跡の概要

青鳥城跡は、東松山市石橋にある名所旧跡です。青鳥城跡は、江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」では、青鳥判官藤原恒儀の居館跡と伝承されていると記しています。藤原恒儀は、平安時代の領主で天長6年(829)に没後、羽尾神社に祭神として祀られています。東松山市では、「早くても平安時代末期に武士の館として造られたもの」で、「最後の城主は、松山城主・上田朝直の家臣、山田伊賀守直安」ではないかとしています。土塁と堀の遺構が残され、埼玉県史跡に指定されています。

青鳥城跡
青鳥城跡の概要
旧跡・名所名 青鳥城跡
みどころ 県指定史跡
入場時間 -
入場料 無料
住所 東松山市石橋2104、1319-1ほか
備考 -




青鳥城跡の由緒

青鳥城跡は、江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」では、青鳥判官藤原恒儀の居館跡と伝承されていると記しています。藤原恒儀は、平安時代の領主で天長6年(829)に没後、羽尾神社に祭神として祀られています。東松山市では、「早くても平安時代末期に武士の館として造られたもの」で、「最後の城主は、松山城主・上田朝直の家臣、山田伊賀守直安」ではないかとしています。土塁と堀の遺構が残され、埼玉県史跡に指定されています。

新編武蔵風土記稿による青鳥城跡について

(石橋村)
内青鳥
村の中程を云、當所に城蹟あり、山林にして反別凡二町許、今も西南の方には磐堀の跡あり、相傳ふ往昔青鳥判官藤原恒儀と云人住せしと、是いかなる人といふことを知らず、按に隣村羽尾村の鎮守に恒儀の社あり、是れ青鳥恒儀の靈社にて天長六年九月廿日卒せし人なりと云、又當所の東に長さ一丈餘、幅二尺五寸許の古碑あり、表面に應安二己酉卯月、施主敬白、右志者、引上道善□靈七ヶ年之忌日□□件とあり、いかなる故にや、土人はこの碑をさして虎の御石と云、(新編武蔵風土記稿より)


青鳥城跡の周辺図


参考資料