醫王山常安寺。中武蔵七十二薬師
常安寺の概要
天台宗寺院の常安寺は、醫王山瑠璃院と号します。常安寺は、豪讃和尚(文永3年1266年寂)が開山したといいます。新編武蔵風土記稿では、小川町奈良梨諏訪神社の鐘に、常安禅寺が延徳3年銘(1491)の鐘を諏訪社へ弘治3年(1557)寄進したとあり、禅宗寺院だった時期があったのではないかともいいます。中武蔵七十二薬師46番です。
山号 | 醫王山 |
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院号 | 瑠璃院 |
寺号 | 常安寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 東松山市西本宿530 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常安寺の縁起
常安寺は、豪讃和尚(文永3年1266年寂)が開山したといいます。新編武蔵風土記稿では、小川町奈良梨諏訪神社の鐘に、常安禅寺が延徳3年銘(1491)の鐘を諏訪社へ弘治3年(1557)寄進したとあり、禅宗寺院だった時期があったのではないかともいいます。
新編武蔵風土記稿による常安寺の縁起
(元宿村)
常安寺
天台宗、下青鳥村浄光寺末、醫王山瑠璃院と號す、本尊彌陀を安ず、開山豪讃和尚文永三年二月十五日寂す、中興豪傳寛文十年八月廿七日寂せり、按に郡中奈良梨村諏訪社の鰐口に武州入西郡高坂郷、醫王山常安禅寺、住持比丘大成叟永順置之、延徳三年四月初八日と彫り、側に弘治三年諏訪社へ寄進せし由を記せり、これ正しく當寺のものなりしを、後年彼社へ移せしなるべし、銘中常安禅寺と載るに據ば、始は禅宗にて後改宗せしものなるべし。
薬師堂。昔小名米山にありし故、米山薬師と號す、薬師は座身にて、慈覺大師の作と云。(新編武蔵風土記稿より)
常安寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」