東崎山世明寿寺。比企西国三十三所
世明寿寺の概要
曹洞宗寺院の世明寿寺は、東崎山と号します。世明寿寺は、一峯(元和9年1624年寂)が開山したといいます。当寺普門閣の千手観音立像は、南北朝時代の作と推定され、東松山市有形文化財に指定され、また比企西国三十三所観音霊場17番となっています。
山号 | 東崎山 |
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院号 | - |
寺号 | 世明寿寺 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
住所 | 東松山市正代755-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
世明寿寺の縁起
世明寿寺は、一峯(元和9年1624年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による世明寿寺の縁起
(正代村)
世明壽寺
曹洞宗、高坂村高済寺末、東崎山と號せり、本尊釋迦を安ず、開山一峯元和九年寂すと云、按に下に出せる宮鼻村香林寺の開山も、一峯和尚と稱すれど、寂年これとたがいたり、恐くは別人なるべし。(新編武蔵風土記稿より)
世明寿寺所蔵の文化財
- 世明寿寺千手観音立像(東松山市指定文化財)
- 世明寿寺二十八部衆(東松山市指定文化財)
- 世明寿寺の算額(東松山市指定文化財)
世明寿寺千手観音立像
市内最古の千手観音像で、総高は一九五センチの立像です。本体は楠の一本造りで、眼には玉眼が入っています。複雑で装飾的な折り返しを見せる衣文構成などには宋風の影響が見られるが、動きの乏しい類型的な表現となる点から十四世紀半ば即ち南北朝時代の作と推定されます。しかし鎌倉彫刻の伝統を良く伝える作品として県内の当代彫刻のなかでも力作の一つと考えられます。(東松山市教育委員会掲示より)
世明寿寺二十八部衆
二十八部衆は千手観音の侍者で、この観音と同時期に奉納されたものと考えられます。特にこの寺のものは作も観音と同様と考えられ、かなりの傑作も多く、また二十八体全部と風神、雷神までが完全に揃っている珍しいものです。(東松山市教育委員会掲示より)
世明寿寺の算額
これは明治十六年じゅういちがつ、東松山市岩殿字望月の住人神能小右衛門の門人である正代の小堤幾造が難問の和算を解答し、この寺に奉納したものです。(東松山市教育委員会掲示より)
世明寿寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」