下福岡西方稲荷。ふじみ野市福岡の神社

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下福岡西方稲荷。湯島の妻恋神社を勧請

下福岡西方稲荷の概要

下福岡西方稲荷は、ふじみ野市福岡にある西方稲荷です。下福岡西方稲荷は、文京区湯島妻恋坂上の妻恋神社を分社して文化10年(1822)に創建、当地吉野家が管理をしているといいます。

下福岡西方稲荷
下福岡西方稲荷の概要
社号 西方稲荷
祭神 -
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 ふじみ野市福岡551
備考 -



下福岡西方稲荷の由緒

下福岡西方稲荷は、文京区湯島妻恋坂上の妻恋神社を分社して文化10年(1822)に創建、当地吉野家が管理をしているといいます。

「上福岡市史資料編」による下福岡西方稲荷の由緒

西方稲荷
下福岡地区の北にある。付近の住民からはイナリサマ(稲荷様)と呼ばれる。村の西方にあるとされることから、(西方稲荷)という名称でも知られている。
当社は文化一〇年(一八二ニ)に文京区湯島妻恋坂上に存する妻恋神社から分社されたもの(吉野博家文書)である。願主には現在シモリと呼ばれ当社の管理を行っ ている吉野家の先祖である友右衛門と沢右衛門の名前が記されている。また社殿の中には、勧請の同年に吉野姓四名により奉納された一対の狐の像がある。同じく社殿内には文化二一年(一八一五)に「福岡講中セワ人」により建立された「正一位稲荷大明神」を記る祠も奉納されている。
現在では吉野家の屋敷外の田に面して社を構える稲荷神社であるが、勧請文書に吉野家の先祖の名前があることからわかるように、当社は当家の屋敷稲荷として祀られ始めたものと考えられる。
また実際に神社は一時、吉野家の屋敷内に移されたこともあった。ところが現在の当主の祖父が夢の中で元の場所に戻りたいという稲荷様の化身の言葉を聞いたため、再び現在の場所に祀られるようになったという。(「上福岡市史資料編」より)

新編武蔵風土記稿による下福岡西方稲荷の由緒

記載なし(新編武蔵風土記稿より)


下福岡西方稲荷の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上福岡市史資料編」

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