中福岡水天宮。日本橋の水天宮を分社
中福岡水天宮の概要
中福岡水天宮は、ふじみ野市仲にある水天宮です。中福岡水天宮は、明治22年(1889)に東京日本橋の水天宮を分社して創祀、昭和4年に大成教管長平山省斉の免許を得たといいます。
社号 | 水天宮 |
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祭神 | 底筒之命、中筒之命、上筒之命、大綿津見神、安徳天皇、建礼門院 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | ふじみ野市仲3-1-3 |
備考 | - |
中福岡水天宮の由緒
中福岡水天宮は、明治22年(1889)に東京日本橋の水天宮を分社して創祀、昭和4年に大成教管長平山省斉の免許を得たといいます。
「上福岡市史資料編」による中福岡水天宮の由緒
水天宮
中福岡地区の薬王寺境内脇に明治二二年(一八八九)三月に東京日本橋の水天宮を分社したもの。祭神は底筒之命、中筒之命、上筒之命、大綿津見神の四神と安徳天皇・建礼門院である。
境内にある昭和四年建立の「水神教会碑」によると、神社は大成教管長平山省斉の免許を得て、土屋虎吉他七名が中心となり創設したものである。
大成教とは平山省斉が明治一五年(一八八二)に創始した教派神道の一派である神道大成教のことである。神社は大成教に所属する教会として成立した。ただし神道大成教自身が求心的な性格をもたず、教義その他の統一性のきわめて弱い教団であったため、同教からの指導や影響はあまりなかったものと考えられる。
水天宮は地域住民を氏子とする、いわゆる氏神鎮守神社とは異なり、有志の崇敬者によって維持管理される神社である。(「上福岡市史資料編」より)
新編武蔵風土記稿による中福岡水天宮の由緒
明治年間創祀のため記載なし(新編武蔵風土記稿より)
中福岡水天宮の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上福岡市史資料編」
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