大井氷川神社。ふじみ野市大井の神社

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大井氷川神社。地祖神根上明神に氷川神を相殿に勧請

大井氷川神社の概要

大井氷川神社は、ふじみ野市大井にある氷川神社です。大井氷川神社の創建年代等は不詳ながら、別当寺だった徳性寺が秀山律師(貞治5年1366年寂)が開山していることから、中世より地祖神として「根上明神」が祀られていたのではないかとも推定され、また慶長元年(1596)には神社として成立していたとも伝えられます。文政元年(1818)に焼失、飢饉等により再建に難渋したものの、弘化5年(1848)には再建され、氷川根上大明神として、氷川神が相殿に祀られるようになりました。明治維新の神仏分離令により神官が置かれ、明治5年大宮の氷川神社を勧請して氷川神社と改称、根上大明神は摂末社となり、村社に列格、明治41年地内の稲荷・神明・高根・久田・金山神社を境内に合祀しています。

大井氷川神社
大井氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命
相殿 -
境内社 稲荷神社、八雲社、三峰社、神明神社、金山神社、久田神社、御嶽社・高根社・雷神社
祭日 春例祭4月15日、八雲神社祭礼7月中旬、秋例祭10月15日
住所 ふじみ野市大井2-4-30
備考 -



大井氷川神社の由緒

大井氷川神社の創建年代等は不詳ながら、別当寺だった徳性寺が秀山律師(貞治5年1366年寂)が開山していることから、中世より地祖神として「根上明神」が祀られていたのではないかとも推定され、また慶長元年(1596)には神社として成立していたとも伝えられます。文政元年(1818)に焼失、飢饉等により再建に難渋したものの、弘化5年(1848)には再建され、氷川根上大明神として、氷川神が相殿に祀られるようになりました。明治維新の神仏分離令により神官が置かれ、明治5年大宮の氷川神社を勧請して氷川神社と改称、根上大明神は摂末社となり、村社に列格、明治41年地内の稲荷・神明・高根・久田・金山神社を境内に合祀しています。

境内掲示による大井氷川神社の由緒

大井氷川神社
神社の創立については不詳であるが、一五九六年(慶長元)にはこの地に既に神社があったともいわれている(入間神社誌)。
この神社地より南に本村と呼ばれる地名があり、中世には、その地祖神として根上明神が祭られ、大きな社地を有していたという。一八二八年(文政一一)に成立した『新編武蔵風土記稿』にも「根上大明神 祭神を詳にせず、例祭三月廿二日、九月十八日兩日を用ゆ」と記されている。一八一八年(文政元)一一月、根上大明神社が全て灰燼に帰したので、その再建のための資金用立として勧進相撲の興業願いが川越藩へ出され、受理されている(川越藩日記)。しかし、その後、飢饉等が重なり再建は思うにまかせず、一八二六年(文政九)・四九年(嘉永二)の両度、用材として境内樹木の伐採願いが提出されるなどし(灌頂院文書)、ようやく再建された。また、一八四八年(弘化五)二月の古文書に「正一位氷川根上大明神」とあり(入間神社誌)、江戸末期に柱神となったようである。
根上明神社の他、大井の地には旧来より、稲荷・久田・高根・金山・神明・第六天・弁天の諸社があり、弁天と第六天を除く各社は、後に根上明神社境内へ移転した。
明治維新の神仏分離令により旧来の徳性寺支配は廃され、神官(新井惟勝)が置かれた。その際、根上明神社は摂末社となった。一八七二年(明治五)には、大宮の氷川神社を勧請し、社殿の新築もおこなわれて、村社となった。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による大井氷川神社の由緒

氷川神社<大井町大井五七二(大井字東原)>
当社の鎮座する大井は、武蔵野の台地部と低地部に分かれ、地内のほぼ中央を川越街道が縦断し、砂川堀が横断している。大井の地名は、古くから当地内にある「おいど」と呼ぶ井戸があることから名付けられたと『風土記稿』は載せている。また、江戸期の国学者釋契沖は『萬葉集』にある「入間路の大野河原のいはゐ蔓、引かばぬるぬる我には絶えそね」の大野河原は当地であると推定している。
当地は川越街道の宿場として発展し、家並みも街道に沿っている。しかし、街道から東にやや離れた市沢を本村と呼び、市沢の方が古くから開けたとも伝え、口碑によると市沢は一の沢の意で、最初に人が住み着いた附近の沢をさすという。
当社の創建は明らかでないが、弘化五年に正一位を受け、その勧遷の証書に「正一位氷川根上大明神」とある。『風土記稿』には、単に根上明神社の社名のみが記されており、江戸後期の『武蔵志』には、当社の名は見えない。
神仏分離以前は天台宗徳性寺が別当を務めていた。祭神は素盞嗚命・奇稲田姫命・大巳貴命の三柱を祀り、明治五年に村社となる。同四一年には、字東原の稲荷・神明・高根・久田の四社、字市沢の金山神社を境内に合祀した。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による大井氷川神社の由緒

(大井村)
根上明神社
祭神を詳にせず、例祭三月廿二日、九月十八日兩日を用ゆ、
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金山權現社
これも祭神を詳にせず、
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久田權現社
同上
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高根權現社
同上
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辨天社
第六天社
以上本乗院持、
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稲荷社
村民の持、(新編武蔵風土記稿より)


大井氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)