大林山安楽寺。ふじみ野市指定文化財の阿弥陀如来像
安楽寺の概要
天台宗寺院の安楽寺は、大林山と号します。安楽寺は、円基法印(または円祐法印)が開山となり、寛正4年(1463)創建したと伝えられますが、当寺2世尊慶法印が慶長19年(1614)に亡くなっていることから、江戸時代初期前後の創建ではないかとも考えられています。江戸期には駒林地内にあった駒林八幡神社など諸社の別当を務めていました。本尊の阿弥陀如来像は、ふじみ野市文化財に指定されています。
山号 | 大林山 |
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院号 | - |
寺号 | 安楽寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | ふじみ野市駒林869 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安楽寺の縁起
安楽寺は、円基法印(または円祐法印)が開山となり、寛正4年(1463)創建したと伝えられますが、当寺2世尊慶法印が慶長19年(1614)に亡くなっていることから、江戸時代初期前後の創建ではないかとも考えられています。江戸期には駒林地内にあった駒林八幡神社など諸社の別当を務めていました。
新編武蔵風土記稿による安楽寺の縁起
(駒林村)安楽寺
天台宗、古谷本郷灌頂院の門徒、大林山と號す、本尊彌陀春日の作立像にて長二尺、外に十一面観音あり、聖徳太子の作と云、
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
上福岡市史資料編による安楽寺の縁起
安楽寺
駒林地区の中央、小字寺脇にある。天台宗大林山と号し、川越市古谷本郷の天台宗灌頂院を本寺とする。現在は無住で灌頂院住職が兼務している。本尊は阿弥陀如来像である。室町中期の寛正四年(一四六二)の円祐法印の開基と伝えられている。ただし、墓碑と過去帳から確認できる二世尊慶法印の没年が慶長一九年(一六一四)であることから、江戸初頭の開基ともみられている。
『風土記稿』を見ると、江戸末期には駒林地区内に存在した若宮八幡社・鷲(鷺)ノ宮・山神社・地蔵堂などの寺社のことごとくは「安楽寺持」とされており、当時の当地区における安楽寺の影響力の大きさを示している。(上福岡市史資料編より)
安楽寺所蔵の文化財
- 安楽寺の阿弥陀如来像(ふじみ野市指定文化財)
安楽寺の阿弥陀如来像
安楽寺は、室町時代中期の寛正四(一四六三)年、円基法印(または円祐法印)という僧侶により開かれたと伝えられる。
『新編武蔵風土記稿』などの古記録によれば、安楽寺は江戸時代には古谷本郷(現在の川越市)の天台宗灌頂院の末寺になり、大林山観量院の寺号を持っていた。
当初の本尊は、奈良時代の仏師春日の手によると伝えられる二尺(約六十六センチメートル)の阿弥陀如来の立像であったが、天保二(一八三一)年に焼失したと伝えられている。
本像は、高さ三十六センチメートルの坐像で、『新編武蔵風土記稿』記載のものとは、明らかに異なっており、本尊の焼失の後、他の場所から新たに迎えられたものと思われる。作製当所は漆塗りであったが、後に肉身部には金泥が塗られ、着衣部に彩色が施された。両手は定印を結び、台座上に結跏趺坐(座禅の足組み)する。
製作時期は、桃山時代(十六世紀末~十七世紀初頭)と伝えられるが、近世の調査により、古くとも江戸初期のものと考えられる。(ふじみ野市教育委員会掲示稿より)
安楽寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 上福岡市史資料編