上池守天神社。旧上池守村鎮守、旧村社
上池守天神社の概要
上池守天神社は、行田市上池守にある天神社です。上池守天神社の創建年代や由緒については不詳ですが、文永5年(1268)に創建したと伝えられます。新編武蔵風土記稿に「天神社三宇」と記載されている天神社のうちの一社で上池守村の鎮守であったといいます。明治5年に村社に列格、明治42年には字掘向の神明社、八木沼の天神社、畑通の八幡社及び同境内社天神社・伊奈利社、天神の天神社の六社を合祀しています。
社号 | 天神社 |
---|---|
祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | 大日孁貴命・少名比古那命・誉田別命・保食命 |
境内社 | 宇賀神社、八坂社 |
祭日 | - |
住所 | 行田市上池守740-1 |
備考 | 旧上池守村鎮守、旧村社 |
上池守天神社の由緒
上池守天神社の創建年代や由緒については不詳ですが、文永5年(1268)に創建したと伝えられます。新編武蔵風土記稿に「天神社三宇」と記載されている天神社のうちの一社で上池守村の鎮守であったといいます。明治5年に村社に列格、明治42年には字掘向の神明社、八木沼の天神社、畑通の八幡社及び同境内社天神社・伊奈利社、天神の天神社の六社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による上池守天神社の由緒
(上池守村)天神社三宇
一は村の鎮守とす、皆村持なり(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による上池守天神社の由緒
荒川・利根川による沖積平野は水利に恵まれ、当地は早くから開拓が進められた所で、条里制区画が残されている。
「明細帳」によれば、当社は文永5年6月の創建とあり、元和から元禄年間にかけて村が三つに分けられた折、上分の鎮守として祀られたものである。「風土記稿」によると別当は竜光寺(現龍高寺)が務めていた。
神仏分離により寺の管理を離れ、明治5年に村社となり、同42年には字掘向の神明社、八木沼の天神社、畑通の八幡社及び同境内社天神社・伊奈利社、天神の天神社の六社を合祀した。
主祭神は菅原道真公で、合祀神として大日孁貴命・少名比古那命・誉田別命・保食命が祀られる。
一間社流造りの本殿に安置する像高四七cmの天神座像は、雨乞いの際、社殿内から運び出し、縄に結び付け、神社裏の用に投げ込むため彩色が落ちたという。これは天神すなわち雷神として、雨を司る神である天神の像を川に投げ込み、その怒りにより雨を乞う信仰であろう。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
上池守天神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)