菅谷八幡神社。忍三郎が将軍上洛に供奉、石清水八幡宮を勧請
菅谷八幡神社の概要
菅谷八幡神社は、行田市持田にある八幡神社です。菅谷八幡神社は、建久元年(1190)鎌倉将軍上洛につき京の石清水八幡宮へ参詣の際、忍三郎が供奉し、帰村の後に勧請したと「明細帳」では記しているといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、天神社 |
祭日 | - |
住所 | 行田市持田5774 |
備考 | - |
菅谷八幡神社の由緒
菅谷八幡神社は、建久元年(1190)鎌倉将軍上洛につき京の石清水八幡宮へ参詣の際、忍三郎が供奉し、帰村の後に勧請したと「明細帳」では記しているといいます。
新編武蔵風土記稿による菅谷八幡神社の由緒
(持田村)八幡社
観音寺持(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による菅谷八幡神社の由緒
持田の名は古くは糯田と書き、また、条里制水田遺構が発掘されていることからも、古来より米作地域であったことがうかがえる。
持田は、東西三二町、南北二三町の大村のため、村内を私に上・中・下の三組に分けていたことが「風土記稿」に記され、当地は上組となっていた。更に「八幡社 観音寺持」とあり、現在の真言宗智山派観音寺が、往時当社の別当となり、奉斎していたことがわかる。
当社の創建は「明細帳」によれば、建久元年鎌倉将軍上洛につき京の石清水八幡宮へ参詣の際、忍三郎が供奉し、帰村の後に勧請したものと記されている。
祭神は、品陀別命で、内陣に白幣を祀るが、明治維新ごろまでは、騎乗八幡神像を安置していたと伝えられている。
本殿は、一間社流造り瓦葺きで、大正期まで覆屋・拝殿はなく、現在の拝殿は大字和田の和田神社拝殿を譲り受けたものである。
戦後の台風などにより多くの木が倒れたため、現在、境内はまばらな木によって囲まれているが、戦前までは、うっそうと樹木が茂り、狐に化かされた話が残るほどの所であった。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
菅谷八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)