中江袋剱神社。旧中江袋村の鎮守
中江袋剱神社の概要
中江袋剱神社は、行田市中江袋にある剱神社です。中江袋剱神社の創建年代は不詳ですが、日本武尊が東征の際当地付近で剣を杖にして休息したことから、村民が剣を神体にして創建したと伝えられ、同様の伝承が斎条剣神社、持田剣神社など劔神社諸社に残されています。江戸時代には当地旧中江袋村の鎮守として祀られ、明治5年に村社に列格、明治40年に土発田伊奈利社・天神社を合祀しています。
社号 | 劔神社 |
---|---|
祭神 | 素盞嗚命 |
相殿 | 宇賀之御魂命、少彦名命 |
境内社 | 塞神、宇賀神、天神社、伊奈利社 |
祭日 | - |
住所 | 行田市中江袋17 |
備考 | 旧中江袋村の鎮守、旧村社 |
中江袋剱神社の由緒
中江袋剱神社の創建年代は不詳ですが、日本武尊が東征の際当地付近で剣を杖にして休息したことから、村民が剣を神体にして創建したと伝えられ、同様の伝承が斎条剣神社、持田剣神社など劔神社諸社に残されています。江戸時代には当地旧中江袋村の鎮守として祀られ、明治5年に村社に列格、明治40年に土発田伊奈利社・天神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による中江袋剱神社の由緒
(中江袋村)剣明神社
村の鎮守なり。村持
末社、弁天(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による中江袋剱神社の由緒
当剣神社の創建については現在不詳であるが、大字内に条里制の遺構が存在したことを考えても千年以前に遡るものと思われる。
主祭神は素盞嗚命であって字屋敷の天神社・字士発田の伊奈利社が合祀されている。
社殿は天保13年の再建と伝えられ、150年余の歳月と共に損壊も甚だしく再建は氏子一同長い間の念願であった。
此の度中江袋環境総合整備建設委員会の発足に当たり、事業の一環として社殿の改修と境内の整備を完了したことは目出度い極みである。(境内石碑より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による中江袋剱神社の由緒
劔神社<南河原村中江袋(中江袋字屋敷耕地)>
当地は、県北部の星川沿いに古くから発達した集落で、遺跡などからも水田耕作地域であったことがうかがわれる。
当社と同社名の神社には、日本武尊の伝説を伝える社が多い。当地に近い行田市内にもこの伝説の残る剣神社があることから、当社にも何らかの伝承があったと思われるが、現在は知ることができない。
また、当地は、忍城主成田家の家人であった中条丹後が忍城落城のに後、当村に住み、姓を江袋と改めて代々名主を務めていた。当社境内には、この江袋家とのかかわりがうかがえる寛延二年の同家名を刻む宇賀神の石祠がある。
当社の創建については不詳であるが、天保一三年の覆屋再建棟札が現存する。往時の別当は、本山派修験榛沢郡黒田村万光寺配下の本覚院が務めていたが、明治初めの神仏分離により、その管理を離れ、同院が復飾して姓を松本と名乗り、神職となった。明治五年に村社となり、同四〇年には同大字字土発田耕地の伊奈利社、字屋敷耕地の天神社を本般に合祀した。
明治中期まで祀職は松本家が務めていたが、その後、茂木庫之助、六郎、正次、茂、貞純と継いでいる。
主祭神は素戔嗚命で、合祀神は字賀之御魂命・少彦名命である。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
中江袋剱神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)