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持田剱神社。行田市持田の神社、旧持田村中組鎮守

持田剱神社の概要

持田剱神社は、行田市持田にある剱神社です。持田剱神社は、日本武尊が東征の際当地付近で剣を杖にして休息したことから、村民が剣を神体にして創建したと伝えられ、同様の伝説が斎条剣神社中江袋剣神社にも残されています。新編武蔵風土記稿によると、江戸時代には、剱宮と称し、持田村中組の鎮守で、長福寺を別当寺としていたといいます。明治5年に村社に列格しています。

持田剱神社
持田剱神社の概要
社号 剱神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 稲荷、浅間、大天白、塞神
祭日 春祭り4月17日、夏祭り8月19日、秋祭り9月9日
住所 行田市持田5937
備考 旧持田村中組鎮守、旧村社、行田八幡神社の兼務社



持田剱神社の由緒

持田剱神社は、日本武尊が東征の際当地付近で剣を杖にして休息したことから、村民が剣を神体にして創建したと伝えられ、同様の伝説が斎条剣神社中江袋剣神社にも残されています。新編武蔵風土記稿によると、江戸時代には、剱宮と称し、持田村中組の鎮守で、長福寺を別当寺としていたといいます。明治5年に村社に列格しています。

新編武蔵風土記稿による持田剱神社の由緒

剣宮
中組の鎮守。長福寺持。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による持田剱神社の由緒

当社は古くから剣宮と称し、お剣様の呼び名で氏子(上持田、中持田)から親しまれ字竹の花に鎮守として祀られて来ました。境内左方に稲荷、浅間、大天白と右方に塞神と祀した社であります。社記によれば当社は日本武尊東征の折当地で剣を杖にしてしばらく休息されたことから尊の威徳を偲ぶ村人が宝剣をご神体に社を建てたと伝えられています。
この由緒ある社殿も建立以来幾度か修築を重ね風雪に耐えて参りましたがこの間各所に腐食が甚だしく神社総代相集い改築構想を協議しその実施を進める機運が高まり建設委員氏子346名の賛意が得られ、浄財拠出によって平成4年5月1日神社改築が発足しこの度その竣工をみたのであります。時代の幾多変遷にもかかわらず今に続く清新な神社崇敬の思慕を伺い知ることが出来ます。
神社改築を機として氏子中ますます隆盛を念願してやみません。(剣神社改築記念碑より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による持田剱神社の由緒

持田は糯田とも書き、地名の由来は黒糯などを植える、あまり肥えていない田によるといわれ、地内に条里制水田遺構がある。
由良氏文書の治承5年源頼朝が新田義重に与えた下文に、埼玉郡内糯田郷とあり、更に地内の真言宗長福寺の阿弥陀如来座像に「正慶元年正月2日」「武州騎西郡糯田郷六角堂阿弥陀像一姫」の銘文があり、平安末期から鎌倉期にかけて既にその名が見られることから、早く開かれた地であることがうかがえる。
当社の鎮座する字竹の花は、文明年中に築城されたという忍城の持田ロの西に当たる。
社記によれば、当社は日本式等東征の折、当地で剣を杖にして、しばらく休息されたことから、尊の威徳を偲ぶ村人が宝剣を神体に社を建てたことに始まり、この剣を草薙剣と呼ぶという。
同社名の神社は郡市内には、当社のほかに行田市斎条(斎条剣神社)と南河原村江袋(中江袋剣神社)にあり、共に日本武尊伝説がある。
本殿は一間社流造りで享保21年に修築され、拝殿は宝暦8年に造営されている。
「風土記稿」によると、別当を真言宗常楽山長福寺が務めていた。
明治初めの神仏分離により寺の管理を離れ、明治5年に村社となり、祀職を青木家が務め、現在に至っている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


持田剱神社の周辺図


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