野久伊豆神社。行田市野の神社
野久伊豆神社の概要
野久伊豆神社は、行田市野にある久伊豆神社です。野久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、野村が開発された慶長年間(1596~1614)に創建したと推定されています。
社号 | 久伊豆神社 |
---|---|
祭神 | 大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | 雷電社 |
祭日 | - |
住所 | 行田市野647 |
備考 | - |
野久伊豆神社の由緒
野久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、野村が開発された慶長年間(1596~1614)に創建したと推定されています。
新編武蔵風土記稿による野久伊豆神社の由緒
(野村)久伊豆社
以上四社(氷川神社、天満宮、久伊豆社と共に)、正覚寺持(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による野久伊豆神社の由緒
「風土記稿」によれば、当地は元は広い野原であったが、慶長年間開発し、野村と称したという。
当社は天台宗正覚寺持であり、村鎮守は氷川社で、これも正覚寺持、元和二年の棟札が残っている。
当地は、市の最東南端に当たり、戦国期は忍・騎西・岩槻など度々領有が変わり、戦の度に被害を受けた。よって、忍の殿様は戦に備えて、道を迷路のように屈曲させたと伝えられ、当時の記録を失った現在では、この迷路のような道が、唯一往時をしのばせるものとなっている。
文久二年四月二五日付けで、伯家から正一位久伊豆大明神の神階を受けている。
祭神は大己貴命であり、祭神について口碑はせっつぁま(久伊豆様)の鎮まる所を中耕地という。これはせっつぁまが情け深く、人の面倒みのよい神様で、そのお蔭で今まで耕地内でもめごとが起こったことがなく、仲がよい耕地ということで中耕地と呼ぶという。また中耕地の旦那寺満願寺は、妻沼聖天様の本家で仲がよい仏様であるから名付けられたともいう。
拝殿を兼ねた覆屋の中に、一間社流造りの本殿と末社雷電社がある。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
野久伊豆神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)