胎智山満願寺。東国花の寺百ヶ寺、野村聖天
満願寺の概要
真言宗智山派寺院の満願寺は、胎智山観音院と号します。満願寺の創建年代は不詳ですが、宗純和尚(天正4年1576年寂)が中興開山したといいます。行田救済菩薩十五霊場15番、東国花の寺百ヶ寺埼玉11番となっている他、境内の歓喜天社は野村聖天として著名です。
山号 | 胎智山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | 満願寺 |
住所 | 行田市野744 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 行田救済菩薩十五霊場15番、東国花の寺百ヶ寺霊場埼玉11番 |
満願寺の縁起
満願寺の創建年代は不詳ですが、宗純和尚(天正4年1576年寂)が中興開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による満願寺の縁起
(野村)満願寺
新義真言宗、長野村長久寺の末、胎智山観音院と号す。本尊不動。中興開山宗鈍、天正4年7月12日化す。
観音堂。
聖天社。
稲荷社。延享元年勧請なり。
阿弥陀堂。春日の作。立像弥陀を安ず。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による満願寺の縁起
満願寺は天正年間宗純和尚をもって中興開基とし現住職和賀行忠和尚をもって第十九世に当たる。
この間約四百年寺門益々興隆寺有三千百坪の地積及び堂宇の偉容を近隣に誇る。然し文化十年頃失火の災いにあい堂宇の殆どを焼失その後しばらくして現本堂を再建し今日に至る。昭和五十三年たまたま弘法大師壱千百五十年の御遠忌に際しその記念事業として墓地回収を行うことを檀家の総意のもとに決定す。この事業として墓地の区画と整地通路の建設有縁無縁塔の建立、六地蔵尊の移転、水屋の設置、駐車場の整備等総工費約壱千万円をもって計画通り施工できたことは和賀行忠住職の熱意はもとより役員の献身的な努力と檀家の理解によるものでありその工事一切は昭和五十五年秋彼岸を機に完成す。
茲に関係者各位の協力を謝し祖先の霊の安らぎと満願寺の興隆を祈念しこれを誌す。(境内石碑より)
満願寺所蔵の文化財
- しだれ桜(行田市指定文化財)
満願寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿