小見久伊豆神社。行田市小見の神社、旧小見村鎮守
小見久伊豆神社の概要
小見久伊豆神社は、行田市小見にある久伊豆神社です。小見久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には久伊豆社と称し、小見村の鎮守となっていました。明治6年に村社に列格、明治43年には字屋敷通の無格社諏訪神社・無格社天神社、字白鳥通の無格社塞神社を合祀しています。
社号 | 久伊豆神社 |
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祭神 | 大己貴命、事代主命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭10月15日 |
住所 | 行田市小見935 |
備考 | 旧小見村鎮守、旧村社、行田八幡神社の兼務社 |
小見久伊豆神社の由緒
小見久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には久伊豆社と称し、小見村の鎮守となっていました。明治6年に村社に列格、明治43年には字屋敷通の無格社諏訪神社・無格社天神社、字白鳥通の無格社塞神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による久伊豆神社の由緒
久伊豆社
村の鎮守とす。専蔵院持。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による久伊豆神社の由緒
当社は小見村の鎮守であり、幕政期は村内の修験専蔵院が別当を務めていた。往時「久伊豆社」と号し、社号額に「正一位久伊豆社」とあることから、卜部の宣旨があったものと思われる。
文化10年の奉納額に「武蔵なる小見邨の鎮守、本地は馬頭観世音にして毎歳祭礼7月19日也とききぬ、御口は本迹無二の誓約ならめと仰ぎ奉り得る、久伊豆の大明神も水草の外に余念の無き馬頭尊、癸酉夏六月廿四日、密宗八十二翁道本」と記してあるほか、専蔵院時代の記録はない。
明治9年1月の「久伊豆営繕常備金貸付帳・第十四区小見村」をはじめとして文書十数点を蔵する。
明治6年に村社となり、同43年2月17日には字屋敷通の無格社諏訪神社・無格社天神社、字白鳥通の無格社塞神社を合祀する。
本殿は一間社流造りであり、祭神は大己貴命・事代主命である。境内末社は、明治2年神仏分離の際、附近の寺院に祀られていた八坂神社・三峰神社・琴平神社・稲荷神社・三島神社・御嶽神社・榛名神社・天神社の八社を集めたものという。
大正12年、関東大震災により拝殿全壊、同14年再建する。
社有地は山林4畝15歩を残し、明治期合併により得た土地は農地解放により失っている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
小見久伊豆神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)