長野久伊豆神社。忍城鬼門の守護神
長野久伊豆神社の概要
長野久伊豆神社は行田市長野にある久伊豆神社です。久伊豆神社は、成田氏十四代下総守顯泰が忍城を築城の際に、鬼門の守護神として長久寺と共に文明年間(1469-1487)に創建したといいます。明治42年に町内の26社を合祀、さらに昭和30年に楯場にあった赤飯稲荷神社を境内に遷座しました。
社号 | 久伊豆神社 |
---|---|
祭神 | 大己貴命、事代主命 |
相殿 | - |
境内社 | 赤飯稲荷(しゃくじきいなり)神社 |
祭日 | 秋祭り9月18・19日 |
住所 | 行田市桜町2-20-35 |
備考 | - |
長野久伊豆神社の由緒
久伊豆神社は、成田氏十四代下総守顯泰が忍城を築城の際に、鬼門の守護神として長久寺と共に文明年間(1469-1487)に創建したといいます。明治42年に町内の26社を合祀、さらに昭和30年に楯場にあった赤飯稲荷神社を境内に遷座しました。
新編武蔵風土記稿による長野久伊豆神社の由緒
(長野村)長久寺項
久伊豆社(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による長野久伊豆神社の由緒
久伊豆神社の祭神は、素盞嗚尊の子大己貴命である。
創立は文明年中(1469-1487)で、成田下総守顯泰が忍城築城に際し、城の鬼門の守護神として当神社を祀り、隣接する長久寺を別当とした。これに合わせ、城の裏鬼門の守護神として城の南西大宮口に、やはり久伊豆神社をおいている。
境内には15m四方の枝張りを有する藤があり、市指定天然記念物となっている。
この藤は、境内にある赤飯稲荷を合祀する際に、市内若小玉にある「紫藤庵の野田藤」を根分けして植えたものである。野田藤は、日本原産の藤であるが、花房が1.5mもあるのは珍しい。
なお、本社には市指定書籍の勝海舟書「大幟」原本も保存されている。(境内掲示より)
長野久伊豆神社所蔵の文化財
- 勝海舟書大幟原本(行田市指定文化財)
- 九尺藤(行田市指定文化財)
- 長野の獅子舞(行田市指定無形民俗文化財)
勝海舟書大幟原本
この大幟は、長さ10m、幅1.2mで、実物大に大書されている。
箱書によると、明治17年11月に氏子総代が中心となって、勝海舟に依頼し、書かれたとのこと。(行田市教育委員会掲示より)
九尺藤
原木は長野字林の堀口和三郎方にあり、往時忍藩主より藤の肥料として搾粕二俵の下賜があったと言われています。その後、若小玉の内田牧之助方に移植され、久伊豆神社が村内合社となるに及んでその苗を譲り受け境内に移植したものです。
目通り1.3m。(行田市教育委員会掲示より)
長野久伊豆神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)