長徳寺。忍城落城後に帰農した江袋三右衛門勝重開基
長徳寺の概要
真言宗智山派寺院の長徳寺は、行田市中江袋にある寺院です。長徳寺は、圓賀(正保元年1645年寂)が開山、江袋三右衛門勝重(寛文2年1622年寂)が開基となり、寛永年間(1624-1643年)に創建したといいます。江袋三右衛門勝重の父は中條丹波と称し、忍城成田家の家人でしたが、天正18年忍城落城に伴って当地へ移住、以後江袋姓を称したといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 長徳寺 |
本尊 | - |
住所 | 行田市中江袋72 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長徳寺の縁起
長徳寺は、圓賀(正保元年1645年寂)が開山、江袋三右衛門勝重(寛文2年1622年寂)が開基となり、寛永年間(1624-1643年)に創建したといいます。江袋三右衛門勝重の父は中條丹波と称し、忍城成田家の家人でしたが、天正18年忍城落城に伴って当地へ移住、以後江袋姓を称したといいます。
新編武蔵風土記稿による長徳寺の縁起
長徳寺
新義真言宗、上ノ村一乗院の門徒なり。当寺は本堂地なりしを、寛永年中村民孫蔵が先祖、江袋三右衛門勝重なるもの開基して、この一寺となせりと。勝重は寛文2年11月29日卒す。勝重の父は中條丹波と称し、成田の家人にして、永楽51貫文を所務せしこと分限帳に見ゆ。天正18年忍城落城の時、当村へ来り、氏を江袋と改めしより、子孫聯綿して今の孫蔵に至れり。開山の僧を圓賀と云。正保元年9月16日化す。本尊不動を安ぜり。
二十五菩薩堂。
天神社。
金毘羅社。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による長徳寺の縁起
長徳寺は上の村一乗院の門徒なり。当寺は元堂地なりしを寛永年(1624年~)中村民孫蔵が先祖江袋三右衛門勝重なるもの開基してこの一宇となりせり。
勝重は寛文2年(1662年)11月29日滅す。
勝重の父は中條丹後と称し成田の家人にして永楽五十一貫文を所務せしこと分限帳に見ゆ。天正18年(1591)忍落城の時当村へ来り氏を江袋と改める。
開山の僧を圓賀と云。正保元年(1644)9月16日滅す。
爾来本堂風雨に耐えざるも老朽化甚だしく住職・檀徒の総意をもって本堂新築を発願併せて村行政よりの助成を受く。(境内石碑より)
長徳寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿