泉福山照岩寺。河原次郎忠家の家人・森入道道本開基
照岩寺の概要
臨済宗円覚寺派寺院の照岩寺は、泉福山と号します。照岩寺の創建年代は不詳ですが、河原次郎忠家の家人だった森入道道本(正治2年1200年寂)が開基となり、主の追福のために創建、調久宗禅師(嘉慶2年1388年寂)が開山したといわれます。慶安2年(1649)には三代将軍家光から寺領12石の御朱印状を拝領しています。
山号 | 泉福山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 照岩寺 |
住所 | 行田市北河原736 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
照岩寺の縁起
照岩寺の創建年代は不詳ですが、河原次郎忠家の家人だった森入道道本(正治2年1200年寂)が開基となり、主の追福のために創建、調久宗禅師(嘉慶2年1388年寂)が開山したといわれます。慶安2年(1649)には三代将軍家光から寺領12石の御朱印状を拝領しています。
新編武蔵風土記稿による照岩寺の縁起
(北河原村)照巌寺
禅宗臨済派、相州鎌倉円覚寺末山なり。寺領12石余の御朱印は、慶安2年8月24日賜へり。泉福山と号す。本尊釈迦を置。相傳ふ当寺は河原次郎忠家の家人、森入道道本と云もの、主の追福の為に草創せりと。されど寿永3年摂州一ノ谷に於て、戦死せる河原太郎高直・同次郎忠家兄弟の位牌を置り、山号寺号は高直の法謚泉福院直入讃高、忠家の法謚照岩寺直心道盛、この謚中の文字を用へり。開山を調久宗と云、嘉慶2年9月2日示寂、開基道本は正治2年4月2日卒すといへば、開山開基の年代さらにたがへり。さりながら古刹とは見ゆれど、記録にも傳へざれば知るべからず、村の民五郎左衛門はかの道本の子孫にして、森氏なりといへど、是も慥なることはなし。
薬師堂。客殿の後ろの方小高き所あり。薬師は定朝の作なりと云。古へは此堂前利根川の堤上より遠望する処、勝景の地なるにより、今より四代前の住僧、眼前の地名をもて八景の題を作り、堂上の詩歌を乞得て珍蔵とす。今は堤上の松杉生ひ繁りて、古の様は絶てなし。詩歌は左に載す。
(中略)
鐘楼。鐘は元文元年新造の銘を彫れり。
亀岡稲荷社(新編武蔵風土記稿より)
照岩寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿