清善寺。行田市忍にある曹洞宗寺院

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平田山清善寺。成田刑部少輔顯忠開山

清善寺の概要

曹洞宗寺院の清善寺は、平田山清善寺と号します。清善寺は、永享12年(1440)に当地の豪族成田刑部少輔顯忠(清善斎全中)により平田精舎として創建されたと伝えられます。成田刑部少輔顯忠は永正16年(1519)に没したが、時の城主成田氏15代親泰は、その死を悼み、一寺を建立して平田山清善寺と称したといいます。天文2年(1533)成田氏16代長泰により再興、翌年成田龍淵寺5世宗佐和尚を迎えて忍城内に開山したといいます。慶長9年には寺領30石の御朱印状を拝領しています。

清善寺
清善寺の概要
山号 平田山
院号 -
寺号 清善寺
本尊 釈迦如来三尊仏
住所 行田市忍2-8-18
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



清善寺の縁起

清善寺は、永享12年(1440)に当地の豪族成田刑部少輔顯忠(清善斎全中)により平田精舎として創建されたと伝えられます。成田刑部少輔顯忠は永正16年(1519)に没したが、時の城主成田氏15代親泰は、その死を悼み、一寺を建立して平田山清善寺と称したといいます。天文2年(1533)成田氏16代長泰により再興、翌年成田龍淵寺5世宗佐和尚を迎えて忍城内に開山したといいます。慶長9年には寺領30石の御朱印状を拝領しています。

境内掲示による清善寺の縁起

清善寺は、曹洞宗成田龍淵寺(熊谷市)の末寺で、平田山清善寺と称し、本尊は釈迦如来三尊仏である。当寺は、永享12年(1440)、当地の豪族成田刑部少輔顯忠の草創といわれている。
顯忠は、仏道に帰依し、清善斎全中と号し、その館は平田精舎といわれていた。
永正16年(1519)に没したが、時の城主成田氏15代親泰は、その死を悼み、一寺を建立して平田山清善寺と称した。
その後成田氏16代長泰によって、天文2年(1533)再興され、翌年成田龍淵寺5世宗佐和尚を迎え開山とした。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による清善寺の縁起

禅宗曹洞派、成田龍淵寺末、平田山と号す。寺領30石慶長9年御朱印を附らる。永享12年成田刑部少輔顯忠草創す。顯忠永正6年5月8日卒す。雄功院信圃全忠と諡す。境内に墳墓あり。此人成田家譜には載せざれど、寺伝及龍淵寺の過去帳に據れば、成田五郎左衛門資員が二男とし又異本の成田系譜には、下総守顯泰が弟に係り、未だ正しき據を知らず。開山は本寺第5世大翁宗佐和和尚なりと云、天文6年8月21日寂す。本尊釈迦を安置す。
観音堂。薬師堂、本尊薬師は成田顯忠が守護佛にて、佛師春日の作と云。鐘楼、貞享2年再造の銘をかく。
塔頭。太盛院、林昌院。(新編武蔵風土記稿より)


清善寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿