八幡神社。真能寺村鎮守、旧村社
八幡神社の概要
八幡神社の創建年代は不詳ですが、文化・文政期(1804-1829)までは中山に鎮座、八幡町附近真能寺村の鎮守でした。明治維新後当地に移転したものと推定されます。明治5年には村社に列格、明治40年飯能町字原の無格社神明社を合祀しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 三峯神社、飯能稲荷大明神 |
祭日 | 春祭:4月17日 |
住所 | 飯能市八幡町12-6 |
備考 | - |
八幡神社の由緒
八幡神社の創建年代は不詳ですが、文化・文政期(1804-1829)までは中山に鎮座、八幡町附近真能寺村の鎮守でした。明治維新後当地に移転したものと推定されます。明治5年には村社に列格、明治40年飯能町字原の無格社神明社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による八幡神社の由緒
八幡社。
別当真能寺村広渡寺持、当社の起建年代詳ならず。社後ろに囲1丈6尺に余れる橿ありて是を神木とす。いかにも古社と見えたり。例祭春は3月15日、秋は8月15日なり。これは真能寺村の鎮守なれども当村にあり。其故は往古真能寺村は、当村の分村なる故に然りと云。社地及び除地は畠1段2畝17歩なり。(新編武蔵風土記稿高麗郡之四中山村項より)
飯能市史資料編による八幡神社の由緒
創建年月日は、はっきりしない。新編武蔵風土記稿は「創起不詳、別当真能寺村広渡寺持」と記し、明細帳は勧請不詳、文禄年中(1592-1595)旧堀米村から現在地へ遷座と述べる。
明治5年村社に列し、同40年飯能町字原の無格社神明社を合祀した。(飯能市史資料編より)
八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」