平壽山広渡寺。高麗三十三ヶ所霊場
広渡寺の概要
曹洞宗寺院の広渡寺は、平壽山と号します。創建年代は不詳ですが、僧花渓正春(永禄4年1561年寂)が中興開山したと伝えられます。慶安年中には地蔵堂領として寺領3石の朱印状を拝領していましたが、慶應4年の飯能戦争で過去帳等を焼失しています。高麗三十三ヶ所霊場15番です。
山号 | 平壽山 |
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院号 | - |
寺号 | 広渡寺 |
本尊 | 延命地蔵 |
住所 | 飯能市八幡町16-5 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 高麗三十三ヶ所霊場15番、読経会・御詠歌等開催 |
広渡寺の縁起
広渡寺の創建年代は不詳ですが、僧花渓正春(永禄4年1561年寂)が中興開山、能仁寺5世吉州伊豚(元和2年1616年寂)が再中興したと伝えられます。慶安年中には地蔵堂領として寺領3石の朱印状を拝領していましたが、慶應4年の飯能戦争で過去帳等を焼失、さらに明治初年には神仏分離令により、八幡神社を分離しました。
新編武蔵風土記稿による広渡寺の縁起
広渡寺
平壽山と号す。曹洞宗、郡内飯能村能仁寺末、開山開基詳ならず。花渓正春を中興開山とす。永禄4年9月朔日寂す。其後能仁寺5世吉州伊豚再興す。元和2年9月26日化す。本尊枯花釈迦を安ず。慶安年中地蔵堂領3石の御朱印を賜ふと。按るにこの寺いづれ古刹と見ゆれど、記録の傳へなければさぐるにその由なし。
地蔵堂。
地蔵長1尺1寸5分、木の坐像にて運慶の作と云。外に愛染を置。長7寸5分木の坐像にて、これも運慶の作なりと云。
古墓
何人の墓所なるや詳ならず。建武5年9月3日禅覚敬白と、刻する板碑あり。(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による広渡寺の縁起
境内に存する板碑に建武5年(1338)の銘があり、慶安2年(1649)に寺から寺社奉行に出された文書には永和2年(1376)開基との文言も見える。
その後能仁寺5世吉州伊豚が再興したというが、飯能戦争の被害にもあい古記録等はほとんど残されていない。(飯能市史資料編より)
広渡寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」