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前岩御嶽八幡神社。飯能市飯能の神社

前岩御嶽八幡神社の概要

前岩御嶽八幡神社は、飯能市飯能にある神社です。前岩御嶽八幡神社の創建年代等は不詳ながら、江戸末期に、屋敷内に金比羅社を祀る与平が、当地に金比羅社を創祀、明治4年に御嶽信仰先達の小川某が木曾の御嶽神社を金比羅社に分霊し御嶽神社としたといいます。明治40年に字吉野入の村社八幡神社と無格社山神社を合祀、社号を御嶽八幡神社と改めて村社に列格しています。祭典などは里宮である本郷御嶽八幡神社で行われます。

前岩御嶽八幡神社
前岩御嶽八幡神社の概要
社号 御嶽八幡神社
祭神 誉田別命、大山祇命、大己貴命、少彦名命
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭:10月9・10日、天王祭7月15日
住所 飯能市飯能817
備考 -



前岩御嶽八幡神社の由緒

前岩御嶽八幡神社の創建年代等は不詳ながら、江戸末期に、屋敷内に金比羅社を祀る与平が、当地に金比羅社を創祀、明治4年に御嶽信仰先達の小川某が木曾の御嶽神社を金比羅社に分霊し御嶽神社としたといいます。明治40年に字吉野入の村社八幡神社と無格社山神社を合祀、社号を御嶽八幡神社と改めて村社に列格しています。

境内掲示による前岩御嶽八幡神社の由緒

御嶽八幡神社
御嶽八幡神社は通称「おんたけさん」といい、誉田別命・大山咋命・大己貴命、少彦名命が祀られている。創立年代は不詳である。
多峯主山の前面にあって、一大岸壁の突き立つ所を前岩と呼んでいるが、ここに古くから小社が鎮座し、多峯主山一面の守りをなしていた。
江戸時代の末期に与平という人が、かねてから琴平宮を屋敷内に祭り、ひそかに信仰していた。
当時この山一帯は、黒田氏の領地で飯能村寄合名主の大河原氏が領主の委任を受けて管理していた。与平は大河原氏の依頼によって曽根刈りなど山仕事に当たっていたが、ある日、前岩付近で昼寝をして目がさめてみるといつの間にか山麓にころげおちていた。不思議に思った与平は、この山に琴平宮を祀ることを決心し、百余段の階段を築き、一族とともに参拝したといわれている。
明治の初め、御嶽教がさかんになり、丸田開元という人が中心となって、名主大河原又右衛門とはかり、信州の御嶽神社の分霊を安置し、同時に講をおこした。その後明治四十年、武人八幡を合祀し、御嶽神社と改めて御嶽八幡神社と改称した。産土神として信仰が厚い。(埼玉県掲示より)

「埼玉の神社」による前岩御嶽八幡神社の由緒

御嶽八幡神社<飯能市飯能一一七(飯能市字岩前)>
吾妻峡の東、多峯主山の中腹に大きな岩が聳え立つ所を岩前と呼ぶ。地形的にも古くから信仰の対象となっていたと考えられる。口碑によれば、江戸末期、屋敷内に金比羅社を祀る与平という者が、ある日山へ仕事に出掛け、岩前付近で昼寝をした。気がつくと山麓に転げ落ちていたので、これは屋敷に祀る金毘羅様のお告げとして岩前に金比羅社を祀ったという。現在、この社は奥宮となっている。
明治の初めごろ当地で御嶽信仰が盛んになり、明治四年に先達の小川某が木曾の御嶽神社を金比羅社に分霊し御嶽神社として、丸田開元らが中心となり社を再建し、信仰を広め、同四〇年ごろまで、大変に栄えた。
当初、御嶽神社は無格社であったが、明治四〇年に字吉野入の村社八幡神社と無格社山神社を合祀し、社号を御嶽八幡神社と改め村社となった。この合祀に伴い社殿を新築し、麓に里宮を設けた。
祭神は誉田別命・大山咋命・大己貴命・少彦名命で、里宮の内陣中央に日本武尊、左右に伊邪奈美命・伊邪奈岐命の二神を配した木彫りの神像と御嶽・八幡・三笠・八海・子大神の幣束を祀る。
奥宮には昭和三年ごろまで小川松覚という行者が住んで、祭典を行っていたが、同二二年ごろに社務所が老朽化のため取り壊され祭典は里宮で行うようになり、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)

「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」による前岩御嶽八幡神社の由緒

御嶽八幡神社(飯能字前岩817)
創建年月日は、はっきりしない。明細帳や神社誌によれば、明治5年村社に列した。同40年7月7日、当所無格社山神社を合祀の上、旧社号御嶽神社を、御嶽八幡神社と改称した。産土神として信仰が厚い。(「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」より)


前岩御嶽八幡神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」