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畑神社。飯能市下畑の神社

畑神社の概要

畑神社は、飯能市下畑にある神社です。畑神社の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1573-1591)に創建した心王院の境内鎮守として祀られた牛頭天王社(八雲社)を起源とするといいます。明治維新の神仏分離により、同じく境内鎮守だった琴平神社とともに当地へ遷座のうえ、合殿としたといいます。明治5年村社に列格、明治40年境内へ合祀していた八幡社と合殿の琴平社を八雲社に合祀し、下畑神社と改めたといいます。同時に大字下畑字保入沢の秋葉社・同境内社の三社大神社・同字愛宕社、大字上畑字谷山の秋葉社・愛宕社、字中畑の神明社、字中ノ峰の稲荷社、字御側の稲荷社を合祀、畑神社と改めたといいます。

畑神社
畑神社の概要
社号 畑神社
祭神 素戔嗚尊、天照大神、軻遇突智神、河菜姫命、倉稲魂命、大山祇神、大山昨神、大物主神、誉田別尊、比売神、神功皇后
相殿 -
境内社 天神宮、桜木神社、金御嶽神社、白髭神社
祭日 例大祭4月
住所 飯能市下畑590
備考 -



畑神社の由緒

畑神社の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1573-1591)に創建した心王院の境内鎮守として祀られた牛頭天王社(八雲社)を起源とするといいます。明治維新の神仏分離により、同じく境内鎮守だった琴平神社とともに当地へ遷座のうえ、合殿としたといいます。明治5年村社に列格、明治40年境内へ合祀していた八幡社と合殿の琴平社を八雲社に合祀し、下畑神社と改めたといいます。同時に大字下畑字保入沢の秋葉社・同境内社の三社大神社・同字愛宕社、大字上畑字谷山の秋葉社・愛宕社、字中畑の神明社、字中ノ峰の稲荷社、字御側の稲荷社を合祀、畑神社と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による畑神社の由緒

(下畑村)八幡社
下上畑村の鎮守なり、例祭三月十五日、金蓮寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による畑神社の由緒

畑神社<飯能市下畑五九〇(下畑字渡戸曽根)>
鎮座地である下畑は、成木川北岸に位置する山村であるため、水田は少なく陸田や畑地が多い。『風土記稿』によると江戸期は民戸四五戸で、上畑・下畑両村の鎮守として八幡社があり、時宗金蓮寺が別当であった。
当地には八幡社のほかに真言宗心王院の鎮守として牛頭天王社並びに金比羅社が祀られていたが、この二社は神仏分離により、明治二年一二月に氏神山と呼ばれる山上に遷座し、牛頭天王社を八雲社に、金毘羅権現社を琴平社に改称し合殿とした。同社は明治五年に村社となり、同四〇年、境内へ合祀していた八幡社と合殿の琴平社を八雲社に合祀し、社名を下畑神社と改めた。同時に大字下畑字保入沢の秋葉社・同境内社の三社大神社・同字愛宕社、大字上畑字谷山の秋葉社・愛宕社、字中畑の神明社、字中ノ峰の稲荷社、字御側の稲荷社を合祀した。更に、同年一二月には社名を下畑神社から畑神社と改めた。なお、当社へ合祀された疱瘡神社・金御嶽神社・八幡社はその後も跡地に社殿が残されている。この疱瘡神社と金御嶽神社は、古くは心王院持ち、天神社は金蓮寺持ちであった。
現在、本殿裏手には庚申塔や山王大権現の石祠があるが、これも合祀の際集められたものである。(「埼玉の神社」より)

飯能市史資料編による畑神社の由緒

創建年月日は、はっきりしない。明細帳や神社誌によれば、以前から牛頭天王、金毘羅権現と称し、2社とも、当村真言宗心王院境内に鎮座したが、神仏分離令により、明治2年12月当地へ遷し、牛頭天王を八雲と改称して鎮座し、金毘羅権現を琴平神社と改称して合殿した。
明治5年村社に列し、同17年6月24日、境内八幡神社と合殿金毘羅神社を合祀して、八雲神社を下畑神社と改称した。同40年5月25日さらに7社を合祀し、同年12月11日「下畑神社」を「畑神社」と改称した。(飯能市史資料編より)


畑神社の周辺図




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