金蓮寺。宮倉三郎兵衛開基
金蓮寺の概要
時宗寺院の金蓮寺は、八幡山と号します。金蓮寺は、宮倉三郎兵衛(法名実宗重阿居士、文和元年1353年没)が開基となり、他阿眞教(文保2年1318年寂)が開山、慶安2年(1649)には寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。
山号 | 八幡山 |
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院号 | - |
寺号 | 金蓮寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 飯能市下畑389 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金蓮寺の縁起
金蓮寺は、宮倉三郎兵衛(法名実宗重阿居士、文和元年1353年没)が開基となり、他阿眞教(文保2年1318年寂)が開山、慶安2年(1649)には寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による金蓮寺の縁起
(下畑村)金蓮寺
八幡山と號す、時宗にて相州鎌倉郡當麻村無量光寺末なり、本尊彌陀は木の立像にて長二尺七寸、惠心の作なりと云、慶安二年寺領七石の御朱印を賜ふ、開山眞教文保二年正月廿七日寂す、開基宮蔵三郎兵衛、法名實宗重阿居士、文和元年八月十六日歿す、この人は今の里正和助が先祖なりと。(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による金蓮寺の縁起
新風記によれば「開山真教文保二年正月廿七日寂す、開基宮倉三郎兵衛、法名実宗重阿居士、文和元年八月十六日歿す」とあり、思うに14世紀の前半から中期にかけて創立されたのであろうか。(飯能市史資料編より)
金蓮寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」