岩澤白髪白山神社。高麗人が入植した際に祀った社
岩澤白髪白山神社の概要
岩澤白髪白山神社は、飯能市岩沢にある神社です。岩澤白髪白山神社の創建年代等は不詳ながら、高麗人が入植した霊亀2年(716)の創建とも、また平安期(794-1185)の創建とも伝えられるといいます。江戸期には白髭白山唐土明神合社と号して、上岩澤・下岩澤の鎮守社として祀られ、明治5年に村社に列格、明治11年には大字内より神明社・山神社・稲荷社・天神社を合祀、昭和30年字麦宇田の稲荷社を境内末社として合祀しています。
社号 | 白髪白山神社 |
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祭神 | 白髪武広国押稚日本根子天皇(清寧天皇)、白山菊理媛命、韓姫命(清寧天皇母) |
相殿 | - |
境内社 | 大日孁貴神、天満天神、大山祇神、大国魂神、倉稲魂神、比売神 |
祭日 | 例大祭:4月第二日曜日 |
住所 | 飯能市岩沢533 |
備考 | - |
岩澤白髪白山神社の由緒
岩澤白髪白山神社の創建年代等は不詳ながら、高麗人が入植した霊亀2年(716)の創建とも、また平安期(794-1185)の創建とも伝えられるといいます。江戸期には白髭白山唐土明神合社と号して、上岩澤・下岩澤の鎮守社として祀られ、明治5年に村社に列格、明治11年には大字内より神明社・山神社・稲荷社・天神社を合祀、昭和30年字麦宇田の稲荷社を境内末社として合祀しています。
新編武蔵風土記稿による岩澤白髪白山神社の由緒
(上岩澤村・下岩澤村)
白髭白山唐土明神合社
慶安年中白髭・白山兩社領七石五斗の御朱印を附せらる、明王寺持、上下村中の鎮守なり、社の左旁に神木と稱する杉あり、圍一丈五尺許。
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天満宮
稲荷社
山神社。以上三社下分村民持。
神明社
稲荷社。以上二社上分村民持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による岩澤白髪白山神社の由緒
白髪白山神社<飯能市岩沢五三三(岩沢字宮ノ西)>
鎮座地岩沢の地名は、南に低い三段の層で、三ヵ所の湧水が沢となり田を潤す様から付けられたという。当社に伝わる創立の話は社記の中にあり、世々の口碑云々として、創建を霊亀二年と記載している。社名は『風土記稿』に、白髭白山唐土明神合社とあり、祭神は白髪武広国押稚日本子命・韓姫命・白山姫命である。創建と伝える霊亀二年は『續日本紀』五月の条に「駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七国の高麗人千七百九十九人を以て、武蔵国に遷し、高麗郡を置く」とある年に当たり、当所は、この高麗郡に含まれている。高麗郡の中央は現日高町で、高麗神社がある。同社は、高麗王若光を祀ると伝え、白髪明神とも号した。しかし、この祭神若光王は、王が没した後に祀られたもので、入植時に祀った神は高麗一族の氏神である唐土大神であったと思われるが、いずれにしても、当地方に伝わる「高麗人白鬚明神を二八ヵ所に祀る」との関係が考えられる。また、『風土記稿』には「慶安年中白髭・白山両社領七石五斗の御朱印を附せらる、明王寺持、上下村中の鎮守なり」とある。
明治に入り現社名に改めたものと思われ、明治五年に村社となり、同一一年には大字内より神明社・山神社・稲荷社・天神社を、昭和三〇年字麦宇田の稲荷社を境内末社として合祀し、更に昭和五七年には字前原の猿田彦社を飛び境内地堺内社として合祀している。(「埼玉の神社」より)
「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」による岩澤白髪白山神社の由緒
創建の年代は平安期(七九四年-一一八五年)頃と称されるが、これを立証する資料はない。
江戸時代幕府編纂の新編武蔵風土記稿によると慶安年中(一六四八-一六五二)徳川幕府より社領として七石五斗の朱印を附され、上・下岩澤村の鎮守であった。(明王寺持とも記されています。)明治四年(一八七一)社領奉還のため逓減禄を賜り、同五年社格制定の折、古来より一村の鎮守であり、古社であったため村社に列せられた。(「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」より)
岩澤白髪白山神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」