川崎白髪神社。小久保家の氏神として創祀
川崎白髪神社の概要
川崎白髪神社は、飯能市川崎にある神社です。川崎白髪神社の創建年代等は不詳ながら、当初小久保家の氏神として祀られ、後に村人たちに鎮守として信仰されるようになったと伝えられています。江戸期には上川崎・下川崎・平松3村の鎮守として祀られ、普門寺境内地に鎮座していましたが、明治維新の神仏分離により、当地へ遷座、明治5年には村社に列格していました。
社号 | 白髪神社 |
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祭神 | 猿田彦命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭10月17日 |
住所 | 飯能市川崎36 |
備考 | - |
川崎白髪神社の由緒
川崎白髪神社の創建年代等は不詳ながら、当初小久保家の氏神として祀られ、後に村人たちに鎮守として信仰されるようになったと伝えられています。江戸期には上川崎・下川崎・平松3村の鎮守として祀られ、普門寺境内地に鎮座していましたが、明治維新の神仏分離により、当地へ遷座、明治5年には村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による川崎白髪神社の由緒
(上川崎村)
白髭社
上下川崎・平松三村の鎮守なり、例祭九月十九日、普門寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による川崎白髪神社の由緒
白髪神社<飯能市川崎三六(川崎字向原)>
外秩父山塊を源とする高麗川と入間川に挟まれた高麗丘陵の台地上に当地は位置し、川崎村として一村であったが、中世末期に上・下二村に分かれ、現在、上は川崎、下は下川崎と呼ばれている。
口碑によると当社は、小久保家の氏神として祀られたが、後に村人たちに鎮守として信仰されるようになったという。
また、『風土記稿』によると当社は川崎・下川崎・平松の三村の鎮守で、例祭は九月一九日として、普門寺を別当としていた。普門寺は、真言宗智山派で千住山教学院と号し、大同元年(八〇六)法印宗珍の創建と伝える古刹である。
明治初めの神仏分離により普門寺の管理を離れ、明治五年に村社となる。現在、普門寺には往時の神体である白髪神像が安置されているという。
明治四〇年、下川崎字中原の八坂神社が境内に合祀されたが、その後、元地に返還されている。
社殿造営については、『明細帳』によると宝暦一四年に再営し、昭和一一年拝殿・幣殿を新築しており、現在安政二年の棟札が残る。(「埼玉の神社」より)
飯能市史資料編による川崎白髪神社の由緒
創建年月日は、はっきりしない。明細帳には、当社は明治初年の神仏分離の時、川崎の普門寺から当地へ遷座したものと思うと記す。
明治43年本殿屋根替えの時発見した棟札には「奏上棟札 白髪大明神 施主 普門寺 安政二卯年九月吉日」と記す。明治5年村社に列した。(飯能市史資料編より)
川崎白髪神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」