普門寺。大同元年創建の伝承、高麗三十三ヶ所霊場
普門寺の概要
真言宗智山派寺院の普門寺は、千手山教学院と号します。普門寺の創建年代等は不詳ながら、明和4年(1767)建立の墓碑に「當山草創大同元年也」とあり、大同元年(806)創建と伝えられてきたことが窺われます。その後尊慶法印が建長年間(1249-1256)に中興開山、江戸時代には幕府より観音堂領として4石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領、川崎白鬚神社の別当を務めていました。高麗三十三ヶ所霊場4番、武州八十八所霊場79番です。
山号 | 千手山 |
---|---|
院号 | 教学院 |
寺号 | 普門寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 飯能市川崎300 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
普門寺の縁起
普門寺の創建年代等は不詳ながら、明和4年(1767)建立の墓碑に「當山草創大同元年也」とあり、大同元年(806)創建と伝えられてきたことが窺われます。その後尊慶法印が建長年間(1249-1256)に中興開山、江戸時代には幕府より観音堂領として4石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領、川崎白鬚神社の別当を務めていました。
新編武蔵風土記稿による普門寺の縁起
(上川崎村)
普門寺
千手山教學院と號す、新義眞言宗、横見郡今泉村金剛院末、本尊地蔵木の立像長一尺三寸、行基の作なり、開山尊慶寂年を傳へず、慶安二年觀音堂領四石の御朱印を賜へり、
觀音堂。千手觀音木の坐像にて、長五寸、行基の作なり、
薬師堂
辨天社(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による普門寺の縁起
普門寺(飯能市大字川崎字下原300番地)
境内の墓碑(明和4年<1767>建立)に「當山草創大同元年也」とあり、昭和17年2月に太平洋戦争のために供出した鰐口には「建長二年法印尊慶」の銘があったことから、創立はかなり古いと思われる。また「法印尊慶」とは中興の開山である。(飯能市史資料編より)
普門寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」