下川崎八坂神社。疫病流行の際に牛頭天王を創建
下川崎八坂神社の概要
下川崎八坂神社は、飯能市下川崎にある神社です。下川崎八坂神社の創建年代等は不詳ながら、疫病が流行した際に牛頭天王を祀ったと伝えられ、当初当地より東方に鎮座していたものの、いつしか当地へ遷座したといいます。明治41年川崎白髪神社に(書類上)合祀されたものの、その後還座しています。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭7月第三日曜日 |
住所 | 飯能市下川崎60 |
備考 | - |
下川崎八坂神社の由緒
下川崎八坂神社の創建年代等は不詳ながら、疫病が流行した際に牛頭天王を祀ったと伝えられ、当初当地より東方に鎮座していたものの、いつしか当地へ遷座したといいます。明治41年川崎白髪神社に(書類上)合祀されたものの、その後還座しています。
新編武蔵風土記稿による下川崎八坂神社の由緒
(下川崎村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による下川崎八坂神社の由緒
八坂神社<飯能市下川崎六〇(下川崎字中原)>
当地は、市の北東端、入間郡日高町との境に位置する農業地域で、地内には縄文時代の遺跡である向原遺跡と芋久保遺跡がある。
当社については、『風土記稿』にも記載がなく、また、棟札や文書なども残っていないため、詳しい由緒は明らかではないが、口碑に、昔、赤痢が大流行し、多くの死者が出たため、これを鎮めるために天王様の祠を祀ったと伝える。
主祭神は素盞嗚尊であり、二間社流造りの本殿には、神名は不詳であるが、もう一柱の神が併祀されている。しかし、年配者の中には当社を“あたごさま”と呼ぶ人もあり、江戸期、勝軍地蔵を祀っていたものが神仏分離により廃されたのではないかと思われる。また、当社は元来、現在の鎮座の東方にあった稲荷山(現西武学園運動場)に鎮座していたものを、いつのころか現在地に奉遷したと伝えるところから、この時に合祀が行われた結果、今のような合殿が建立されたとも考えられる。
なお、『明細帳』を見ると、当社は上川崎字向原の白鬚神社に「明治四十一年十二月十一日、同村大字下川崎字中原村社八坂神社ヲ境内社トシテ移転ス」とある。しかし、氏子によれば、当社は現在地に奉斎して以来、一度も他所へ移したことはないという。(「埼玉の神社」より)
飯能市史資料編による下川崎八坂神社の由緒
創建年月日は、はっきりしない。新風記にも明細帳にも記されていない。
境内に通称蚕影さまの祠堂がある。報告者の話によると、養蚕の盛んな頃はお祭りも盛んだったという。(飯能市史資料編より)
下川崎八坂神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」