久須美白髪神社。延文年間に天台修験教順坊が勧請
久須美白髪神社の概要
久須美白髪神社は、飯能市久須美にある神社です。久須美白髪神社の創建年代等は不詳ながら、延文年間(1356-1360)に天台修験教順坊が勧請したと伝えられます。江戸期には、小瀬戸村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格しています。
社号 | 白髪神社 |
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祭神 | 猿田彦命 |
相殿 | 素戔嗚尊、菊理媛命、宇迦之御魂神 |
境内社 | 八坂社、白山社、稲荷社 |
祭日 | 例大祭10月17日 |
住所 | 飯能市大字久須美140-甲 |
備考 | - |
久須美白髪神社の由緒
久須美白髪神社の創建年代等は不詳ながら、延文年間(1356-1360)に天台修験教順坊が勧請したと伝えられます。江戸期には、小瀬戸村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格しています。
新編武蔵風土記稿による久須美白髪神社の由緒
(久須美村)
白髭社
村の鎮守なり、例祭九月廿九日、東光寺持社頭に神木と稱する杉あり、圍三丈三尺ばかり、丙丁の災にかゝりて、今は枝葉も皮もなく、白幹のみ枯立せり、(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による久須美白髪神社の由緒
白髭神社(飯能市大字久須美字宮ノ前140-甲)
創建年月日は、はっきりしないが、報告書や明細帳によれば、延文年間(1356-1360)当村天台修験教順坊が勧請したと伝えられる。また分離以前は曹洞宗東光寺持であったらしい。
天明2年(1782)火災で焼失、寛政2年(1790)再営、明治5年村社に列した。(飯能市史資料編より)
「埼玉の神社」による久須美白髪神社の由緒
白髪神社<飯能市久須美一四〇-甲(久須美字宮ノ前)>
入間川の左岸、台地の南裾に形成された久須美集落の歴史は古く、地内に上野平長割間遺跡があることでも知られる。
明治期まで、多くの家は山裾に居を構えていたが現在は川沿いに走る県道飯能名栗線沿いに集落が移転したため、当社は民家から少し奥に入った所に鎮座している。境内東側には川の流れが運んだと思われる巨岩があり、この岩を磐座と見ることもできよう。
当社の創建に関する記録は、天明年間の火災により焼失し、また、社頭にあった周囲三丈三尺ばかりの神木もこの時焼けてしまい、創祀など不明となっている。火災後、寛政二年に再興され、曹洞宗瑞雲山東光寺が別当を務めた。今日でも境内地東側畑は東光寺所有であり、明治中ごろまで神社参道脇には六地蔵などの石仏(現東光寺内)があった。神仏分離後、小岩井村の梅林家が社掌となり、大正期より宮原正一、義雄と継いでいる。
祭神は猿田彦大神であり、本殿は拝殿内に置かれた一間社流造りで、内陣には長さ三三・八センチメートル、直径一四センチメートルほどの石棒一本及び石塊二個が安置されている。
境内末社は八坂神社・稲荷社・白山社の三社であり、そのうち八坂神社には「天保九年六月一五日 天下泰平五穀成就村内安全十方吉祥痕難爲消除令新勧請者也」の勧請札が納められている。(「埼玉の神社」より)
久須美白髪神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」