上直竹山祇神社。飯能市上直竹上分の神社

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上直竹山祇神社。木崎家の先祖が勧請

上直竹山祇神社の概要

上直竹山祇神社は、飯能市上直竹上分にある神社です。上直竹山祇神社の創建年代等は不詳ながら、武田の支族で当地に住み着いた木崎家の先祖が祀ったと伝えられ、江戸期には光全寺が管理していました。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治40年字細谷の愛宕神社及び境内社稲荷社を合祀しています。

上直竹山祇神社
上直竹山祇神社の概要
社号 山祇神社
祭神 大山祇命、軻遇突智命、宇迦之御魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 4月17日
住所 飯能市上直竹上分69
備考 -



上直竹山祇神社の由緒

上直竹山祇神社の創建年代等は不詳ながら、武田の支族で当地に住み着いた木崎家の先祖が祀ったと伝えられ、江戸期には光全寺が管理していました。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治40年字細谷の愛宕神社及び境内社稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による上直竹山祇神社の由緒

(上直竹村)
山神社
光全寺の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上直竹山祇神社の由緒

山祇神社<飯能市上直竹上分六九(上直竹上分字竹ノ平)>
当社は明治七年、当地光全寺の僧本室鳳根が勧請したと伝えるが、一説に武田の支族で、落ち延びて当地に住み着いたという木崎家の先祖が祀ったとも伝えている。古くは、月の一七日には神職が月次祭を行い、木崎家で直会を行っていたという。
『風土記稿』に「山神社、光全寺の持」とあり、曹洞宗薬王山光全寺が管理していたことが知られる。
明治五年、村社になった際、社号を現在の山祇神社と改めた。
次いで、明治四〇年五月一〇日に字細谷の愛宕神社及び境内社稲荷社を本殿合祀した。
現在の社殿は、昭和三五年四月一七日に竣功したもので、併せて境内が整備された。社殿の神座には、山祇神社のほか、天満大自在天神・白山妙理大権現・子安大明神を祀り、それぞれに文久元年三月の棟札を納めるが、天満大自在天神の棟札には「宝暦十二壬午二月大吉日當山四世柱岩代謹白」と併記されていることから、同神はほかの二柱よりも古くから祀られていたことがわかる。
また、昭和一九年には、本殿へ合祀されていた細谷の稲荷社を旧来境内にあった稲荷社へ移した。(「埼玉の神社」より)

「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」による上直竹山祇神社の由緒

山祇神社(大字上直竹上分字竹ノ平69)
創建年月日は、はっきりしない。明細帳によると、明治5年村社に列し、同40年5月20日、愛宕前の愛宕神社と境内社の稲荷神社を合祀した。(「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」より)


上直竹山祇神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」