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石灰焼場跡|飯能市上直竹下分の名所旧跡

石灰焼場跡の概要

石灰焼場跡は、飯能市にある名所旧跡です。石灰焼場跡は、八王子城主北條氏の家臣師岡・木崎の二氏が、八王子城落城後当地へ定住、慶長年間(1596-1614)に当地で石灰の製造を始めたと伝えられます。この石灰は成木・小曽木の石灰とともに八王子石灰と称され、江戸城の増築・修造に用いられたことから御用石灰とも呼ばれたといいます。石灰の製造に当たっては12氏(名)の専属とされ、そのうちの2氏は師岡・木崎の二氏の子孫で上直竹伴次郎・村民庄次郎とされていました。

石灰焼場跡
石灰焼場跡の概要
名称 石灰焼場跡
みどころ 埼玉県指定史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 飯能市上直竹下分
備考 -




石灰焼場跡の由緒

石灰焼場跡は、八王子城主北條氏の家臣師岡・木崎の二氏が、八王子城落城後当地へ定住、慶長年間(1596-1614)に当地で石灰の製造を始めたと伝えられます。この石灰は青梅の石灰とともに八王子石灰と称され、江戸城の増築・修造に用いられたことから御用石灰とも呼ばれたといいます。石灰の製造に当たっては12氏(名)の専属とされ、そのうちの2氏は師岡・木崎の二氏の子孫で上直竹伴次郎・村民庄次郎とされていました。

新編武蔵風土記稿による石灰焼場跡について

(上直竹村)
石灰
里正伴次郎、村民庄次郎二人の者、石灰を製す、是は世に謂ゆる八王子石灰の根元なり、相傳ふ二人の先祖某天正年中、八王子の城主北條氏の家臣たりしが、彼城沒落の後當村に引籠り、始て石灰を製せしが、慶長年中江戸御城御造營の時、石灰御用を務しよりこのかた今も替らず、此石灰を製するもの十二人の株となりて、其七人は多磨郡成木村にあり、三人は同郡小曽木村にあり、二人は即ちこの村にあり、(新編武蔵風土記稿より)

飯能市教育委員会掲示による石灰焼場跡について

石灰焼場跡
この地の石灰焼事業は、慶長年間(一五九六-一六一四)八王子城主北条氏照の家臣師岡・木崎の二氏によって始められたといわれている。これが世にいう八王子石灰のはじめで、折から江戸城の増築等にあたって多くの資材が必要となり、御用石灰として青梅街道を江戸に送られた。
石垣前の広場に、方五間(九米×九米)、高さ一丈(約三米)位に薪を積みその上に石灰石をのせて焼く方法(平焼)をとっていたが、その末期には七輪焼といって竪窯で小規模に焼いたようである。
地方民の農閑かせぎとして、明治三十年代まで三百年の長い間焼きつがれた。(埼玉県・飯能市教育委員会掲示より)


石灰焼場跡の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿

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