無量寺。飯能市小岩井にある真言宗智山派寺院

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無量寺無量寺。木村検校が中心となり祀った弁才天

無量寺の概要

真言宗智山派寺院の無量寺は、福寿山金蔵院と号します。無量寺の創建年代等は不詳ながら、天正8年(1580)賢知法印が再興したといいます。慶安2年(1649)には薬師堂領として5石の御朱印状を受領しています。名栗川(入間川)沿いの字堂平に祀られていた弁才天は、木村検校が中心となり祀られたもので、現在は当寺に奉安されているそうです。

無量寺
無量寺の概要
山号 福寿山
院号 金蔵院
寺号 無量寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 飯能市大字小岩井1023
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



無量寺の縁起

無量寺の創建年代等は不詳ながら、天正8年(1580)賢知法印が再興したといいます。慶安2年(1649)には薬師堂領として5石の御朱印状を受領しています。名栗川(入間川)沿いの字堂平に祀られていた弁才天は、木村検校が中心となり祀られたもので、現在は当寺に奉安されているそうです。

境内掲示による無量寺の縁起

弁才天様の由来
当山は福寿山金蔵院無量寺と創立の時から呼称していた。
無量寺如来をご本尊とし、脇士として不動明王、弁才天、歓喜天を奉祈して来た。
徳川家康江戸に居城を定めるにおよび弁才天の供養料として五石を下賜した。宝暦年間矢颪村の木村検校がご本尊様にお願いし、近所の人々の援助により検校の位にのぼる事が出来た。その報恩感謝のために江の島弁天の講元にお願いして江の島弁天様にあやかるようにし、こしらえていただいたのが現在の弁才天様である。
このようなありがたい弁才天様であるので、まごころこめて働いて、長寿、知恵、弁才をおさずけ下さるようおたのみして下さると、一層のしあわせが頂けます。なお毎年四月の大祭には境内の桜もほころび大勢の真とのみなさんでにぎわい、家内安全、商売繁昌、交通安全、学業成就などの大護摩祈願が行われています。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による無量寺の縁起

(小岩井村)
無量寺
福壽山と號す、新義眞言宗、郡中虎秀村東明寺末、開山秀元寛永十七年の草創なり、正保二年七月朔日示寂せり、
薬師堂
慶安二年堂領五石の御朱印を賜はれり、無量寺の持なり(新編武蔵風土記稿より)

飯能市史資料編による無量寺の縁起

無量寺(飯能市大字小岩井字元山1023)
創立年紀は不詳であるが、天正8年(1580)賢知法印が再興し、虎秀村東明寺末上野村医王院末と変遷し、明治4年に聖天院の末寺となった。
現在の本堂は寛保元年(1741)に了善法印が再興したものである。(飯能市史資料編より)


無量寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」