清流山清泰寺。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所
清泰寺の概要
真言宗智山派寺院の清泰寺は、清流山無量院と号します。清泰寺の創建年代等は不詳ながら、安政3年(1856)に本堂が焼失した際、聖天院の経蔵を当地へ移築して再建したといいます。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所55番です。
山号 | 清流山 |
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院号 | 無量院 |
寺号 | 清泰寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 飯能市中居214-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
清泰寺の縁起
清泰寺の創建年代等は不詳ながら、安政3年(1856)に本堂が焼失した際、聖天院の経蔵を当地へ移築して再建したといいます。
新編武蔵風土記稿による清泰寺の縁起
(中居村)
清泰寺
清流山と號す、新義眞言宗、郡中新堀村聖天院末、開基開山詳ならず、本尊阿彌陀木の坐像にて、長一尺六寸、運慶の作と云、
八幡社(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による清泰寺の縁起
宝蔵寺(飯能市大字中居字鶴ヶ峰214番地の甲)
本堂は安政3年(1856)12月に焼失し、明治6年に聖天院の経蔵(享保年中<1716-1735>建立のもの)を、住職半田隆慶および檀中によって移築再建した。
清泰寺鎮守八幡社(飯能市史資料編より)
清泰寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」