蓮田天神社。蓮田市蓮田の神社
蓮田天神社の概要
蓮田天神社は、蓮田市蓮田にある神社です。蓮田天神社の創建年代などは不詳ながら、かつては下蓮田の鎮守だったものの東八幡神社が村鎮守に代わったと伝えられます。明治維新後は無格社とされています。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 天神祭2月25日 |
住所 | 蓮田市蓮田2-104 |
備考 | - |
蓮田天神社の由緒
蓮田天神社の創建年代などは不詳ながら、かつては下蓮田の鎮守だったものの東八幡神社が村鎮守に代わったと伝えられます。明治維新後は無格社とされています。
新編武蔵風土記稿による蓮田天神社の由緒
(下蓮田村)
八幡社
天神社〇
愛宕社
神明社
山王社
稲荷社
以上の神社慶福寺持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による蓮田天神社の由緒
天神社<蓮田市蓮田二五四(蓮田字前口)>
当社の境内地は、周囲よりも一段高い所である。石段を登り、鳥居をくぐって参道を進むと、樹木の生い茂る中に、周囲に瑞垣をめぐらした堂々とした二間社流造りの本殿が現れる。江戸期の造営であろうが、なぜ二間社になっているかは明らかでない。恐らく、二柱の祭神か二社の神社を祀ったものと思われるが、祭神は菅原道真公一柱を伝えるのみで、神社を合祀したという記録もない。
古くは蓮田村として一村であったが、近世に上・下蓮田村に分かれた。『風土記稿』下蓮田村の項には「八幡社 ○天神社○愛宕社○神明社○山王社○稲荷社 以上の神社慶福寺持」と記されており、このうち天神社と見えるのが当社である。口碑によれば、初め天神社が下蓮田村の鎮守であったが、のちに名主の交替により八幡社の方が鎮守に昇格したという。鎮守が入れ替わった時期については明らかでないが、吉田建家・関根一之家・金井栄治家の三家が往時名主を務めた家筋といい、名主の交替により村内の力関係が変わり、鎮守の交替を招いたものであろう。明治初年の社格制定に際しては、当社が無格社とされたのに対し、八幡社は村社となった。
なお、別当の慶福寺は天台宗の寺院であり、開山の慶蓮が慶安年中(一六四八-五二)に寂したと伝える。(「埼玉の神社」より)
蓮田天神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)