東八幡神社。蓮田市東の神社
東八幡神社の概要
東八幡神社は、蓮田市東にある神社です。東八幡神社の創建年代などは不詳ながら、古くより下蓮田の鎮守として祀られていたといいます。明治維新後は村社に列格、字桑原の無格社神明社と字綾瀬附の無格社稲荷社の両社を合祀しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | 仁徳天皇 |
境内社 | 金刀比羅社 |
祭日 | - |
住所 | 蓮田市東6-9-17 |
備考 | - |
東八幡神社の由緒
東八幡神社の創建年代などは不詳ながら、古くより下蓮田の鎮守として祀られていたといいます。明治維新後は村社に列格、字桑原の無格社神明社と字綾瀬附の無格社稲荷社の両社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による東八幡神社の由緒
(下蓮田村)
八幡社〇
天神社
愛宕社
神明社〇
山王社
稲荷社〇
以上の神社慶福寺持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による東八幡神社の由緒
八幡神社<蓮田市東六-九(蓮田字神原)>
JR蓮田駅の東口を出て、南西に約一〇分ほど歩くと、当社の境内がある。この辺りは、元来は「鎮守の森」の言葉がふさわしいような山林であったが、交通の便がよいため、太平洋戦争後は宅地化が進み景観は大きく変わった。また、当社の境内の東側は蓮田南小学校に隣接しているため、子供たちからも「八幡様」の通称で親しまれており、境内で遊ぶ子供たちの姿もよく見受けられる。
当社の創始については明らかではないが、古くから下蓮田の鎮守として祀られてきた。西南西四〇〇メートルほどの所には、中世武士の城館跡を示す「堀の内」の地名があり、武神とされる八幡神の勧請に、この城館に居住した武士がかかわっていたとも推測される。祭神について『明細帳』は「祭神応神天皇、合殿仁徳天皇」としており、一間社流造りの本殿には金幣が大小一体ずつ安置されている。また、鎮座地付近は当社にちなんで「若宮」と呼ばれ、鳥居に掛かる社号額にも「若宮八幡宮」と刻まれていることから、当社は古くは「若宮八幡」を号していたことがわかる。
明治四十一年七月十八日、政府の合祀政策に従い、下蓮田では、村社であった当社に字桑原の無格社神明社と字綾瀬附の無格社稲荷社の両社を合祀した。しかし、旧氏子の強い要望によって両社共昭和十年ごろ旧地に復し、合祀前のように祀られるようになった。(「埼玉の神社」より)
東八幡神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)