閏戸愛宕神社。蓮田市閏戸の神社
閏戸愛宕神社の概要
閏戸愛宕神社は、蓮田市閏戸にある神社です。閏戸愛宕神社は、秀源寺の僧が愛宕明神を宝永年間(1704-1710)に祀り創建したと伝えられます。明治43年に閏戸久伊豆神社に合祀されたものの、昭和20年に再建しています。
社号 | 愛宕神社 |
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祭神 | 伽具土命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、弁天社 |
祭日 | - |
住所 | 蓮田市閏戸2935 |
備考 | - |
閏戸愛宕神社の由緒
閏戸愛宕神社は、秀源寺の僧が愛宕明神を宝永年間(1704-1710)に祀り創建したと伝えられます。明治43年に閏戸久伊豆神社に合祀されたものの、昭和20年に再建しています。
新編武蔵風土記稿による閏戸愛宕神社の由緒
(上閏戸村)
久伊豆社
村の鎮守なり
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愛宕社
何れも秀源寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による閏戸愛宕神社の由緒
愛宕神社<蓮田市閏戸二九三五(閏戸字湿気)>
伽具土命を祀る当社は、木深い林に覆われたおよそ二メートルほどの盛り土の上に鎮座している。こぢんまりしたその本殿には、白幣一体を奉安している。また、本殿の左手には「稲荷社」の石祠、右手には「辨天社」の石祠がそれぞれ祀られており、いずれも「明治十一寅八月閏戸村中セハ人斎藤又市」と刻まれている。当社の盛り土と並ぶように上閏戸自治会館(昭和六十年三月建設)の大きな建物がある。その正面には二二畳敷の舞台を併設しており、十月十四日の秋祭りにはこの舞台で県指定無形民俗文化財の「閏戸の式三番」が奉納される。
口碑によれば、当社は宝永年間(一七〇四-一〇)に秀源寺の僧が愛宕明神を祀ったのが始まりで、その時に五能三羽の舞を復活したという。これが、現在の「閏戸の式三番」である。
江戸期には、閏戸は上・中・下の三か村に分かれていて、当社は『風土記稿』上閏戸村の項に秀源寺持ちの愛宕社として載る。また、当社の一〇〇メートルほど北にある秀源寺は、もと蒼梧寺と号し、大源派であったが、中古火災によって全山を焼失した。その後、絶えていた法灯を、伊奈備前守忠次の家人、富田吉右衛門が主人忠次(慶長十五年・一六一〇年没)追福のため再興し、忠次を中興開基とし、本寺であった秩父郡下吉田の清泉寺第二世長山賢道に請うて中興開山とした。
明治三十年に当社は秀源寺と共に焼失したが、後に再建された。(「埼玉の神社」より)
閏戸愛宕神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)